教区司祭考

福音の喜びについての解説。恒例の3教区合同黙想会が始まった。参加者は大分12名、那覇14名、鹿児島23名、そして長崎6名の合計55名はこれまでで最多。

講師は仲間の司祭。新進気鋭の若手神学者。昨年9月、新福音宣教評議会主催による、フランシスコ教皇の使徒的勧告「福音の喜び」についての研修会に参加したことを受けて、その成果を分かちあってもらうことになった。

ところで、教区司祭にとっての黙想会は休みの色合いが強い。それというのも、「『さあ、あなたがただけで人里離れた所へ行って、しばらく休むがよいと言われた」(マルコ6・31)ことが念頭にあるからだ。ただ、僕の場合、「出入りする人が多くて、食事をする暇もなかったからである」というマルコの理由付けはちょっと面映ゆい。

そもそも、教区司祭に限らず、年の黙想が司祭や修道者に義務付けられている根拠は上記のイエス様の指示によると言っていい。

教区司祭の特徴は明確な霊性を持たないこと。そういう意味では、各自が深めた司祭像を生きる霊性と言えるかもしれない。それは、司祭叙階記念カードに記す聖書の言葉に込められたもので、その司祭独自の霊性といえる。で、教区司祭にとって年の黙想は、記念のカードに記した霊性の原点に立ち帰って、深めたり、修正したりする貴重な機会となる。

それと同じように大切なのが親交を深めること。特に近年、ベトナムや韓国籍の司祭が増えていることもあってその必要性はこれまでになく大きい。夕食後は、1年ぶりの再会とあって、母国語による文字通りのハッピーアワー。日本人にとっては同窓会。どちらにとっても息抜きに変わりはない。

 

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