ポーランド最大の巡礼地めぐりは光が丘のヤスナ・グラ修道院

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光が丘へ

多くの巡礼者でにぎわうヤスナ・グラ修道院遠景8月2日(火)、チェンストホバ市、今日の目的地。クラクフの真西約60キロにある投宿先のサレジオ会から真北に約100キロ1時間半のドライブ。その中心に位置するヤスナ・グラ修道院巡礼が今日の大きな目的。「これから私たちは光が丘に行きます。」「エーッ!」案内の神父さんの言葉にバス中が沸いた。ヤスナは光、グラは丘の意味。「ナールホド!」黒い聖母子像のイコンで有名。この聖母子の祭壇でのミサが希望だったが叶わず、隣の聖堂ですることに。ドミニコ会が管理する聖堂で日本でも働いたことのある司祭がおられて何かと便宜を図って下さった。

黒い聖母はエルサレム出身

黒い聖母の本体は柵の向こうところで、この黒い聖母、福音記者のルカが描いたといういわれがあり、しかも聖家族が使っていた食台に描いたとなると、少し行き過ぎでオハナシの感が強まって興ざめ。火災にあって黒くなったと言われている。いずれにしても、1382年、エルサレムからチェンストホーヴァに運ばれ、修道院に安置された。経緯は分からない。こんな逸話もある。17世紀、スウェーデンに侵略された際、包囲されたにも関わらず攻略されなかったのは、このイコンの聖母が守ったからだとされ、王様は神の母の庇護の下に国を捧げることを誓い、彼女を王国の守護者にして女王とすることを宣言したのだという(ウィキペディアより)。

傷のワケ

母も子も傷を受けられた数々の奇跡をおこなう聖母として世界中から巡礼者が絶えない。それにしても、マリア様の頬の傷は痛ましい。15世紀、フス派に襲撃された時、兵士は剣を抜いて壊そうとしたが切りつけるだけで壊すことができなかった。二度目に剣を振り上げた兵士はその場で死んだ。頬の傷跡はその時のものだという。自由散策の時間、聖母の聖堂を出て正面左手の階段を上がると屋上に出た。すると、森の中にかなり大きな十字架の道行きを臨むことができた。地上からだと見上げることになるが屋上からだと目の高さになるのでちょうどいい。WYDの流れでバックパックを担いだ若者が大勢来ていた。

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