二度目の卒業式
純心女子高校の第59回目の卒業式が、学園8校のトップを切って、寒いので有名な?体育館で午前十時開式。女子校らしく、お辞儀も深々と丁寧。これで二度目の出席。
193名中就職は4人だけ。生徒数が減少しているとは言え、これだけの生徒たちを学ばせる支持者がいるというのは嬉しい。他では決して見ることの出来ないマリア様のご像はもちろん宗教的雰囲気はかえがたいものがある。送辞や答辞を聞いていても聖書の言葉が引用されたりさすが。
そういえば、来賓祝辞はいの一番だったが残念ながら録音失敗。というよりも、どのフォルダーも満杯。壇上で消去操作するのもはばかられたので・・・。ともかく、シグニス講演送信に失敗したことが気になったので、部屋で密かに吹き込み。臨場感に欠けることおびただしいが、11分は問題なく送信できた。シグニスは重すぎたのかも知れない。原因究明には達人の手を借りなければならない。
お昼の後篤姫第八回鑑賞。はじめて見たが面白かった。痛快な感じもした。病み付きになりそう。
2:30、快晴に誘われて二コース制覇を目指してイザ。しかし、5キロ過ぎても足の重たさはとれず、二コース目は諦めて帰還。まだ長旅の疲れが残っている?今日は早めの送信。久し振りに今夜はゆっくりしたい。
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レジーナ・パーチス基金
平和の女王の意味。ローマ法王庁大使館参事官レオン・カレンガ神父さん。昨年大使に同行して鹿児島にも来られた。年二回の司教会議でも顔を合わす。いつもフレンドリーな笑顔がいい。
会うときは、敬意を表して「モンセニョール」と呼ぶ。昨年司祭叙階25周年をお祝いした。1956年コンゴ生まれの50歳。人口4百万の半数近くがカトリック。銀祝に頂いたお祝儀でこの基金を設立。貧しい国々での大使館勤務が長かったせいもあるとは思うが、何よりも人柄の然らしめるところに違いない。昨年、大使館での会食の時にそんな話を聞いたので、個人的に送金したら、昨日写真が送られてきた。彼のプロジェクト第1号だという。コンゴ、いや今後、栄養失調撲滅、無料診療所、幼児教育と夢のプロジェクトが展開していく。夢は現在の首都キンシャサ郊外から国全土を超えて周辺国にまで広がる。「子供たちが勉強したら銃を持たなくてもいい」といった言葉が忘れられない。援助金は下記へ。
レオン ビー カレンガ 三井住友銀行 麹町支店 普通預金 8796698
今日は一日二回送信することになった。ミサでの話をiPodに取り付けた録音器で試してみた。音量を低ではなく高に設定すべきだった。取り込みも極めて簡単。手間が省けていい。
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青春の門から老春の門へ
第46回川内純心高校卒業式。去る1日の姉妹校鹿児島純心高校のそれとは対照的。193名の卒業に対して24名。しかし、要した時間は1時間40分と鹿児島より10分も多かった。
24名の卒業生たちは入学後に閉校を知らされたのだという。驚き失望した生徒もいたらしいが、それでも、最後は「ここで学べて良かった!」それは答辞によく現れていた。「私たちは純心の心を忘れません。」また、「反抗ばかりしていましたが、愛情を感じなかったことは一度もありません」という「お父さん、お母さん」に対する謝辞には保護者席からも感動で鼻をすする音が。「24人にとって純心での三年間を一言で言えば・・・」というアンケートに「目指すはマリア様!」と答えた子もいて麗しい気持ちが嬉しかった。純心の伝統である花言葉に託して純心の心を伝える伝統のイベント「魂(たま)ゆずり」では、感極まった三年生が何度も声を詰まらせ、会場のみんなも気持ちを察して感涙にむせんだ。それにしても、最終章を飾ることになる二年生十名は「しっかり頑張ります」といじらしかった。
久し振りに阿久根の聖園(みその)老人ホームを訪問。こちらもシスターたちが引き上げることになっていて、やはり歴史の狭間にある。次期園長さんはホームでの生活もすっかり板に付いた様子。快く園内を案内してくださった。三時のおやつは生きたおひな様に若い職員扮する三人官女を前にして老春を愛でながらのお茶会。1時間ほど談笑。
夕方のランは小雨が心配だったが大きく崩れることもなく快適。しかし、寒かった。明日いよいよベトナム人最後の二人の司祭が来鹿する。
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あめ玉のように・・・
4:00、執り成し者の集まり「燃える芝の会」のミサ。第1朗読は思い出のイザヤ49章。随分昔の話しになる。30年前?八日間の霊操に参加したときのことだ。一日一回の面接があるだけ。
あとは与えられた聖書の箇所をもとにひたすら孤独の祈りが続く。みことばを読み、よく考え、思考をまとめる。そして、ノートに書き記す。これが、それまでの黙想のやり方だった。外部から遮断された黙想の家で、たっぷりある時間を使って、思う存分思考を巡らし、ノートを埋めた。我ながら満足した。面接の時、感想を聞かれたので、ここぞとばかりに「いかに有益な時間だった」かを語り、ノートを広げて成果のほどを誇示した。指導司祭はノートには目もくれずに言ったものだ。「書いてもいいですが、書かなくてもいいです。」「えッ?じゃあどうすれば・・・」困惑するボクにすかさず言った。「みことばを味わうだけでいいんです。」「味わう?」「そうです。ちょうどあめ玉を口の中で転がすように・・・」「あめ玉?・・・」益々混乱した。「みことばを味わう?あめ玉?・・・」そして、これまで聞いたこともない黙想指導にボクは完全に懐疑的になった。
当時の霊性のレベルが知れて恥ずかしいのだが、30年前の血気盛んな荒削りの駆け出し時代にタイムスリップしてしまった。今日のイザヤはそんなボクに力強く呼ばわったものだ。
- 主はこう言われる。私は恵の時にあなたに答え、救いの日にあなたを助けた。・・・捕らわれ人には、出でよと、闇に住む者には身を現せ、と命じる。(イザヤ49・8-15)
カタツムリのように恐る恐るこだわりの殻から出て、指導司祭と和解?するのに八日のうち五日も要した。みことばを味わう。なるほど。あめ玉のように。なるほど。
名文は幻の迷文に終わったが、断片的なみことばが見事な詩となってつづり合わされ、やはりノートを埋めていった。もはや思考の賜としてではなく感性の赴くままに。司祭職の大きな曲がり角だった。
突然、話題が変るが、今日はランのコースで新たな発見。小サギの昨日の漁場にアオサギがいた。それで気がついた。小サギはくちばしと足が黒い。アオサギはくちばしが黄色っぽく、足は青白い。見映えもスラッとしてアオサギが優っているが、純白な羽毛は小サギ。二人の人から挨拶を受けた。目をかけて貰うのは嬉しい。サギたちにも伝えたいのだが・・・。
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指宿紀行
ジュン神父さんのおじさん神父さんは明日帰国すると言う。日曜日のミサの代行が見つからなかったらしい。折角だからと一番手のすいた僕が案内することに。
先ずは砂蒸し温泉体験から。ホテル街の真ん中にあるのは市営。いつの頃か新装オープンしたようですっかり様変わりしていた。一番感心したのは、砂風呂がいくつもの区画に仕切られていて、手前のものには水が張られて湯煙が立っていた。帰りしな気がついた。湯煙が消えて砂だけに。砂の洗濯?だったようだ。「人の汗で汚れた同じ砂をかけられるのは気持ちが悪い。」かつて、そんなことを耳にしたことがあった。こんなところにも進化が!ともあれ、三人は「スッキリした」と大満足。
次なる初体験への招待はそうめん流しが定番。これまた、「何でも初めて・・・」と写真に収めたり大成功。その足で、「世界一のうなぎ」とご対面。少し意外だったのは、うなぎよりも池田湖に興味を感じたようで、「真水か?しょっぱくないのか?」そして、これまたボクにはずいぶん久しぶりだったが、フラミンゴのショーは愛らしかった。数十羽のフラミンゴが調教師の手の動きだけで二手に分かれたり、早足になったり、ぐるぐる回ったりと長い足を軽快に動かしながらいかにも楽しんでいる様子が印象的だった。調教師たちの自信にあふれたしぐさもそれに勝って印象的だったが、それにしても、「どうしてあんなふうにしつけることが出来るの?」フラワーパークではカートでの探索。花の季節ということもあったが、趣向を凝らしたさまざまな庭園はボクも初めてで、人工的だが花々の美しさだけが勝った。
久しぶりに長い運転を堪能。7時前帰着。
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ゆらいあい黙想会
11:00、ミサ。お昼の後は黙想会。と言っても、1:00-2:00の一時間だけ。おやつをして2:30には帰途につくのが通常のプログラム。50名ほどの参加者。
送迎のボランティアも送迎を受ける参加者も気負いがなく、まさに和気藹々。皆が一つになるようにという主の夢が間違いなく形になっていると感じた。ジュンとタムの両司祭も招待されて日本語での自己紹介に賞賛の拍手。
10:05のバスは13分ほどで会場下に到着。11:00には間があったので浪人時代の下宿屋を偵察に。イチロウ君が後を継いだことは知っていたが、彼もかれこれ50代半ばになるはずだ。昔の下宿棟「紫荘」はなく、本宅後には新築中の「イチロウ邸」が。ようやく新築?堅実な生き方が感じられて嬉しかった。紫荘に続く司教館裏の通りはあの当時竹やぶに覆われ、農道のような細い道が続き陰気だったが、すっかり明るくなって様変わり。40数年の空白。約半世紀だものナー。下宿屋の親父さんにお上さん。善良な人たちだった。
「神学校に行く!」受験を数ヵ月後に控えての一大変心に周りをあわてさせた21歳。「弱気になったらいかん」と励ました親父さん。受験放棄?を残念がったものの一緒に荷物を運んでくれた隣室の仲間。あれ以来全く音信はないが忘れたことはない。少しおセンチになって同じ道をミサに急いだ。
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AB型的発想?
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もしもし、ミサをさせてください
ミサの当番表はすでに埋まっていて、それではと吉野教会に電話を入れた。朝の留守電に夕方返事が来た。主任司祭は驚きながらも喜んで承知してくれた。説教はまたもAB型的霊性の勧めに。
嬉しかったのは、ミサ前四十分にはすでにオルガニストは定位置、他の数人は祭壇準備。ボクの時代の記憶にはない光景だ。ボクに気づいて目をパチクリ、「エーッ!」遅刻者皆無にも驚いた。それにしても男の子をリーダーに女の子二人という編成の侍者団の立派なこと。落ち着いて役割をきちっと果たしている姿はみごと。まるで、神学生のよう。「侍者の仕方誰に教えてもらったの?」ミサ後聞いてみたらやはり吉野出身の神学生仕込み。子供たちの世界でも信仰の伝達がなされていることが嬉しかった。進化し続ける吉野教会、ということか。
茶話会の席はもっぱら男性相手に進行。案の定、女性集団からクレームがつき、ハイハイ。言っチャなんだが男衆はボソボソと個人的話題に集中した感が否めないが、それに比べてコチラはどうだ。典礼のことからベールのことまでたちまち質問攻め?「それでは信者は混乱する!」と明確な反応も。イヤ、全く、元気があるのはやっぱりイエス様の時代からご婦人たちということになっているらしい。
主任司祭ともども、近くのレストランでお昼をご馳走になって早めの帰館。次回のサプライズはどこにしようかな。
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AB型的発想?
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Re:もしもし、ミサをさせてください
当直明けでミサには与れませんでしたが帰宅後、
茶話会で司教様とお会い出来て良かったです。
説教を拝聴し物事を前向きに考える事を再確認
出来ました。
育てドラゴン
久し振りに会衆との普段のミサ。会衆といってもたまたま居合わせた通勤前の聖体訪問者。遅刻するかも知れないのにちゃんと聖体拝領も。朗読は、毎年、今頃の季節に読まれる
スザンナをたぶらかした二人の長老の話。結末はダニエルの巧みな裁きによって二人がもくろんだスザンナ処刑の極刑を自らが受けることに。どうして毎年ここが読まれるのか・・・。そして、福音はイエスが、姦通の現場で捕らえられた女性を石打ちにしようとする民衆を諭した話し。罪の大小を問わず、人の過ちを厳しく追及しようとする気持ちは確かにある。イエスは、過ちを犯した人を咎めるよりもそんな誰もが持ちそうな傾きに警告を発する。咎め合う社会ではなく自戒し合うことこそ平和に至る道。スザンナの話より分りやすいと思うのだが・・・。
午前中一杯で、気がかりなことが全て片づいてスッキリ。そして今日はまさに春。お昼のあと、陽気に誘われて園芸店へ。直径40センチのプラスチック製鉢四個と土に堆肥に軽石。昨年タイの司教館裏庭から貰い受けたドラゴンフルーツを移植。かなり根を張っているのに驚いた。これだけの生命力なら、きっと実を結ぶに違いない。育てドラゴン。
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自戒は果たして平和への道か?
自戒は必ずしも平和への道ではない。なぜか?自戒は自分を眺めるだけでも他人の気持ちを考えるだけでも足りない?イエスの呼びかけだからイエスに答えようとする気持ちなしには力が出ないような感じはする。教会内でも起こる事件らしいのだが、その手の事件に限らず、人間関係を壊す出来事は日常茶飯事?こうなると、イエスとの出会いの質が問われていることになるのではないか。飛躍しすぎ?
で先日からお前誰?と言われそうですが
その正体は鈴木忠一CPが知っています