2008/03/10
育てドラゴン
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admin
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2008-03-10 16:38
last modified
2008-03-10 16:38
久し振りに会衆との普段のミサ。会衆といってもたまたま居合わせた通勤前の聖体訪問者。遅刻するかも知れないのにちゃんと聖体拝領も。朗読は、毎年、今頃の季節に読まれる
スザンナをたぶらかした二人の長老の話。結末はダニエルの巧みな裁きによって二人がもくろんだスザンナ処刑の極刑を自らが受けることに。どうして毎年ここが読まれるのか・・・。そして、福音はイエスが、姦通の現場で捕らえられた女性を石打ちにしようとする民衆を諭した話し。罪の大小を問わず、人の過ちを厳しく追及しようとする気持ちは確かにある。イエスは、過ちを犯した人を咎めるよりもそんな誰もが持ちそうな傾きに警告を発する。咎め合う社会ではなく自戒し合うことこそ平和に至る道。スザンナの話より分りやすいと思うのだが・・・。
午前中一杯で、気がかりなことが全て片づいてスッキリ。そして今日はまさに春。お昼のあと、陽気に誘われて園芸店へ。直径40センチのプラスチック製鉢四個と土に堆肥に軽石。昨年タイの司教館裏庭から貰い受けたドラゴンフルーツを移植。かなり根を張っているのに驚いた。これだけの生命力なら、きっと実を結ぶに違いない。育てドラゴン。
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自戒は必ずしも平和への道ではない。なぜか?自戒は自分を眺めるだけでも他人の気持ちを考えるだけでも足りない?イエスの呼びかけだからイエスに答えようとする気持ちなしには力が出ないような感じはする。教会内でも起こる事件らしいのだが、その手の事件に限らず、人間関係を壊す出来事は日常茶飯事?こうなると、イエスとの出会いの質が問われていることになるのではないか。飛躍しすぎ?