徳之島ミッション
同じミッションでも50年前には想像すらできなかった飛行機での一ッ飛びミッション。
徳之島母間(ぼま)教会献堂50周年。全島はもちろん沖永良部や名瀬からも多くの参加者があり聖堂は200名ほどの信者で溢れた。来賓には町長代理をはじめ議員さんや地域の代表者も多数。
「50年前に宣教した司祭たちは全員もうすでに天国?」と思いきや、なんと現役で今なお活躍中の司祭数人が同席。草創期の司祭たちの話を是非聞きたかった。夕食前、集まった5人は当時24,5歳の恐れを知らない熱血宣教師。たくさんのエピソードを聞くことができた。ジープにスピーカーをつけて聖歌を流しながら島を駆け巡った話には思わずアッと叫んだ。実は、20年前種子島に赴任したとき、同じことをしたことが思い出されたからだ。もっとも、ボクの場合は魚売りと間違われたものだったが・・・。ともあれ、その20数年前に同じことをやっていた宣教師がいたことに驚いた。
ミサ後になされた草創期の生き証人による話も感動的。祭壇を壁に寄せ、聖櫃と共にカーテンで仕切って臨時のホールと化した聖堂でのミサ後のパーティーの一番目の出し物が「フラダンス」には驚いたが、地域に開かれた教会らしかった。好物のヤギ汁が振舞われる中、サンシン(三味線)の演奏や島の踊りが次々と披露されて盛会を極めた。
2:45みんなの見送る中を空港へ。今年三度目となった徳之島ミッションがこうして終わった。5:30帰館。シャワーを浴びて直ちに絵の仲間の個展打ち上げパーティーに。楽しいひと時だった
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バナナ悲話と祭りと
またもバナナが食べられない。いや、店からバナナが消えたからではない。かつてバナナ拒食をしたことがある。いわゆる拒食症ではない。
20年ほど前、バナナが搾取や非人間的労働の象徴だと知らされたことがショックで口にできなかったのだ。それもいつしか熱が冷めて毎朝の主食の一つになっているのだが。
しかし、原産地フィリピン・ダバオの7万人が従事するというバナナ生産地の状況は20年前と同じ。つまり、炎天下のもと重労働に従事する人々の上空から殺虫剤が散布されるというのだ。そのため皮膚炎その他の健康被害が耐えない。薬剤散布をやめるように会社側に市が申し出たところ会社は生産者との取引を止め、2万人が職を失った。禁じるだけでなく、住民の生活空間とバナナ園との間に緩衝地帯を設けるという試みもなされたがそれほどの効果を上げていないのが現実。ご存知のようにバナナの主要輸出国のトップが日本で中国、中東と続く。思い余った人々はフィリピン司教協議会の力を借りて何とかしたいというが頭の痛い問題。(この項今日配信されたアジアカトリックニュースより。)
あの美味しいヘルシーなバナナがヘルシーな人々の健康を損ねて生産されていると聞けば人事ではない。現実には、自分も会社側の片棒を担いでいることになり同罪?また昔の議論が蘇りそうで落ち着かない。
こうした重たい話が現実なら「教会踊り連100名参加」のおはら祭りも6:30には通りに繰り出すという。お酒を振舞ったり写真を取ったり脇役がボクの持ち場。というのも全く練習したことも泣く手の動かしようがなかったからだが、ハンヤ節は奄美のロクチョウのリズムに似て結構ノレた。参加した団体は300近い数だった。明日は別の団体が踊るのだという。おはら祭り初体験の後は残った焼酎で打ち上げだって。行くとするか。
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Re:バナナ悲話と祭りと
おはら祭り二日目
正確には昨夜の祭りを夜祭、今日の祭りを本祭りというらしい。11時ごろ昼間の本祭りがどんなものか見学へ。
昨夜の夜祭とは確かに雰囲気が違う。第一整然さが違う。我らがカトリックのグループしか知らないが、一応並ぶ順序も決まってはいたらしいが大雑把。前後のグループとの間隔も狭すぎたり広すぎたり。後ろのグループから「ハヨ進め」と促されたり・・・。
その点、本祭りの子供の踊り連には整理係がいて早すぎたり遅すぎたりする子供に注意が飛んでいた。夜と違って全てがはっきり見えるので神経を使うのかもしれない。そのせいか、踊っている大人も子供も真剣。お祭りなんだからもっと笑顔で楽しくできないものかと思う。盛り上がっているのは大音響の音楽だけで踊り連は真剣に練習の成果を発表しているといった感じ。特に無表情の子供たちが少し気の毒だった。一つの踊りが終わるとフーッと溜め息をついて「ヤレヤレ・・・」と言わんばかりだ。昨夜は、合間合間に焼酎やお菓子が振舞われて子供たちがはしゃぎまわったり生き生きとしていたのとは対照的だった。そういう意味でも参加は夜祭に限る。
本祭りを数分見ただけで帰るのは世をすねた感じがしたので「祭りの町の様子」を観察するため天文館辺りを散策。アーケード街はさすがに閑散。「おはら祭り大売出し」を期待したのだが、がっかり。しかしどこからともなくいい香りが。臭いにつられてやや行くとナント照国神社表参道も歩行者天国。テントが張られ食べもの屋が軒を連ね、なにやら民放の生放送まで。更にあの芝生に覆われた天文館公園はテント村と化してフリーマーケット。おとなしいのは商店街だけだったことを確認して帰館。
簡単なお昼の後、向かいの病院へお見舞い。一週間ぶりの墓参巡礼の帰りに博物館企画展「城山の自然」鑑賞。城山が国の「天然記念物」であること、県木が「くすのき」であることを知った。それに、12.5万年前は城山も海の中だったことには驚いた。「バクチノキ:木の皮が剥がれて肌が赤く露出したように見えるところから博打ですっからかんになった姿を連想するので」という名の由来には少し無理な感じがしないでもなかった。城山で発見されたゼンマイとシダがそれぞれシロヤマゼンマイとシロヤマシダ。これは分かりやすい。
帰りしな信者さんと遭遇。「司教さんは踊りに出なかったんですか?」「昨晩お酒のサービス係りでした。」「今日じゃなかったんですか?!」こういう人もいるので来年はしっかり知らせる必要アリ。
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もし・・・
「このまま寒くなりますかね。」「一気に冬になるんじゃないですか。」
毎朝と通るジムに併設した駐車場担当官。そう呼びたくなるような立派な制服姿の対照的な二人組み。この二ヶ月余りですっかり顔なじみに。「おはようがざいます!」背が高いほうは甲高く、低いほうはナミ。そのナミの担当官がはじめて声をかけてくれた昨日の朝の冷え込みはこの秋一番?「そうですかねー。」
少し気になる反応の意味が理解できたように思ったのは高千穂の峰の麓に着いてからだ。山はさぞ寒かろうと下着もすっかり冬支度の完全装備。無風状態で快晴。スケッチには最高の日和だったがお陰で背中には汗がポタリ。そうだったのか、勤務前のテレビで「また暑くなる」ことをかれは知っていたに違いないのだ。何の根拠もないことなのだが、なんだか期待に添えなかった時のような少し残念な気持ちが可笑しかった。
それでも帰りの道々想像を楽しんだ。「いや昼は結構暑くなるそうですよ。」「だといいんですがー。年をとると寒さはどうもねー・・・。」足を止めて少しは話が続いたかもしれなかったのに。そして、胸の名前も判別できて更に親しみが増したかも知れなかったのに。「ところで、近くに住んでおられるんですか?」「ハイ、ザビエル教会です。」「ああ、あの公園の向かいの。」「そうです、そうです。」「エーソウナ。」「デスヨ。」鹿児島弁の口調のやり取りが続いて9:00の朝礼に遅刻。そんなハプニングも楽しいのだが・・・。そんな連想ゲームの中4:00に帰館。
「絵はどうだった?」待ってましたとばかりに同窓会係のクラスメートから電話が入った。事務所で不在の理由を教えてもらったらしい。「今日は8人とも○だったよ。」まるで父親に報告する子供のような自分の素直な返事に我ながら可笑しかった。
気がかりなことをいくつも済ますことができてゆったりした時を楽しんだ一日だった。おや、もう5時過ぎだ。クラス会の早めの忘年会。しかも開会は5:30。年を取ると気がせくらしい。行くとするか。
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AB型的発想?
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ミサと出会った!
二回目となるアジアンユースデー(AYD)準備会。いや、準備黙想会のほうがふさわしい。
圧巻は昨日の午後になされたミサを味わうセッション。①賛美・礼拝そして感謝②約束③いけにえ④記念と現存。四つのグループに分かれて各要素がそれぞれにどんな意味があり呼びかけがなされているのか小1時間の分かち合い。みんなすばらしかったが特に印象深かったのは②の約束と我が④グループ。
み言葉や司祭の祈りを通して神からの約束がなされているが実は私たちの側からも「私たちも人を赦します」をはじめたくさんの約束をしていることに気がついた。渡された模造紙には神様の手と握手の絵が。また、聖体拝領で「アーメン」と応えるとき聖変化が完成するという断言にもアッと驚いた。神学的に正しいかどうかは別として「あなた方のために渡される・・・」という聖変化のことばを自分へのチャレンジとして受け入れていることに感動。発表後の感想ではミサの豊かさというか価値というか、ミサにこめられた主の思いと出会ったさまがうかがえて手応え十分。主日のミサを簡単にサボったりしないでミサを中心とした生活になることを期待したい。
本番で発表される今時の?激しい動きのソーラン節の練習には辛いものがあったが、テーマソングの振り付けはリズムに乗れず完全に脱落。どちらも当日が思いやられる。
今日午後からの各自が製作してきたコラージュ(貼り付け絵)の分かち合いもすばらしかった。事前に知らされたいくつかの聖書の箇所を黙想し、一つを選び、そこから受けたメッセージを新聞や雑誌の切抜きで仕上げた。各自の人柄に基づいた信仰の姿が具体的に語られほのぼのとしたひと時だった。「前回からの準備を通して自分のことを考えるようになった」という感想には信仰が少しずつ地に足の着いたものになっていくようで嬉しかった。
当然といえばそうだが回を重ねるにつれ16人との親しさが倍加していくのも嬉しい。心地いい幾ばくかの疲れを覚えながら7:30帰館。今日は早く寝るとしよう。午前7:00のミサは小聖堂が一杯だった。
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二つのあせり
雨の中を各地から司祭たちが参集。一ヶ月置いての司祭定例総会。今回のテーマは重たかった。
教区の看護協会にも応援を頼んでの勉強会。一見平和な日本にあっても心の問題は別。人の心の世界は計りがたい。それだけに、心に問題を抱えるといっても単なる悩みとは違う質の問題は司祭といえども素人。
「○○教会で相手にされなかった」とか「他教区では組織的に取り組んでいるところもある」と聞くとあせってしまう。かといって司祭たちの声を聞いても個人での対応には限界がある。つまり、単に疲れるだけでなく有効なケアができない。何とか体勢を整えてどんな人々にも対応できる癒しの教区を目指す必要があるし急がれる。
幸い、今日見えた看護協会の二人のシスターは看護師で一人は大学で教鞭をとる精神衛生の専門家。更に仲間の中にも専門的な訓練を受けた司祭がいることも分かったので今後に向けての具体的な展開が期待できそう。当初は一時間ほどを想定していたが二時間近くも一つのテーマに専念できた。この問題についての関心が高い証拠。また配布された資料をもとになされたスターの話は今後の司牧活動にとってきわめて有益なものだった。司祭年半ばで思いがけない研修総会となった。
先日友人に貰ったブックレット。表紙に横たわる大きなサメの死骸にも驚いたがページをめくって思わず数を数えた。今年9月までに海岸に打ち上げられた35匹もの大型魚の死骸が次々と紹介されたいたからだ。いずれも川内原発周辺の海岸だという。「温排水と海の環境破壊」という表紙のサブタイトルが怖い。もっとも、死亡漂着の原因は特定できていないとはいうが・・・。原発にって光を供される人間と命を失う海の生物たち。想像するだけで胸が痛む。猫の狂い死にで始まった水俣病の二の舞にならないとも限らない。今日二つ目のあせり。単なる想像だといいのだが。
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神の人と出会った日
「そのうち・・・」と手付かずのまま数週間机上で出番を待っていた●シリーズ福祉に生きる55江角ヤス。
今月、唯一遠出の予定のない今週初めようやく手が伸びた。純心聖母会初代院長として会の基礎を築いた故シスター江角ヤスの伝記。「女子教育に捧げた・・・」という見出しでなく「福祉に生きる」シリーズが気になっていたが、読み進むうちに納得。
修道会の創立者故早坂司教が始めた学園を文部省認可の学園として名実共にカトリック学校として出発にこぎつけたのが1936年(昭和11年)3月27日だという。学校も基礎が定まり大きな飛躍が期待された1945年8月9日全ては灰燼に帰した。
召命に至るまでの興味深いエピソードに時を忘れるほどだったが、原爆投下以降の記述は状況一変。はしばしば感涙するほど胸に迫るものだった。自らも被爆して身動きの取れないまさに修羅場のさなかにあってもてきぱきと陣頭指揮を取る姿はかつての武将を思わせるものがある。三ツ山の原爆ホームをはじめその他の施設が214名の殉難者に対する思いの深さによるものであることがはじめて良く分かった。そして、なるほど教育の人だけでなく、福祉の人であったことも。
何よりも信仰の人であったことは獅子奮迅の働きをされたときもそうだったが、特に晩年、癌との壮絶な戦いに見られる殉教者のごとき信仰は司祭の自分も思わず身が引き締まった。あんなふうな最後を迎えたい!それほど深刻にもならず気ままに生きている日々。全身が揺すぶられた。司祭年にいただいた思いがけない神さまからの警策(けいさく)の一撃。奉献生活の原点を全うした神の人。多くの人に読んでもらいたい。
今日はは事務所の例会。そろそろ行くか。
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推薦図書
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カミガミと共に
のんびりは今日まで。といっても、気持ちは少しブルー。明日の墓前ミサと日曜日の福者レオ七右衛門祭。まだ心の準備ができていない。
17日からの日韓司教交流の次は23日の屋久島シドッチ祭とアジアンユースデー。ブルーなのは立て込んだスケジュールのせいばかりではない。長期の留守の前の儀式に時間ばかりが過ぎていくからだ。儀式?そうだ。山をなすカミガミの「仕分け作業」。
4年前、小教区を離れるときに想定していなかったことが一つある。毎日押し寄せるカミガミの怒涛の訪問。茶色の大きな封筒から各種の月刊誌に教区報と小教区報は許容範囲?だとしても、数種類の英語の月刊誌からさまざまな贈呈本。貧しい国からの援助依頼の手紙には心が痛むが20数年来のアジアの兄弟姉妹を優先して涙を飲んで「廃止」。そのつどやればいいのだが、私信らしきものを優先する結果、部屋のあちこちにカミガミが所在無く出番を待つことになる。
昨日から少し手がけ今日が本番。行政刷新会議の向こうを張って朝からじっくりとこちらは孤独の仕分け作業に専念。中には5月の消印のものが出てきたりしてあわてたが、それでも全く支障をきたさないまま数ヶ月が過ぎたところにカミガミの問題点がある。コピー用紙に天下りするものもあるが大半が廃止。もっとも、月刊紙や贈呈本はパラパラの後教会ロビーの「自由にお持ちください」コーナーで天下り先を待つことに。各教区報はそれぞれの司教さんの顔が浮かぶので少し丁寧に全面に目を通した後ということになる。
別ルートのカミガミ、つまり新聞の書評やダイレクトメール経由で招き入れたものが読みさしのまま積み重なるという悪い癖は誰のせいでもない。自業自得。しかし、奥の手があるので参考までに公開したい。大体年一回、信徒有志に頼むと日曜日のミサ後にロビーで天下り先を探してくれるのだ。すると手元の箱には幾ばくかの志が入るという仕組み。人々は期せずしてアジアの友人たちを助けることになり我ながら妙案だと自負している。
「宵越しの金は持たない」とは誰のことでどういう意味かも分からないまま使うのだが、「年越しの本は持たない」のがボクの主義。これは、司祭になって最初の転勤の際本箱の重さに驚いたことが始まりだ。お陰で、7回目の転勤に際しては軽トラ車一台に250ccバイクと布団その他を押し込んで移動できるまでに腕を上げたものだ。最後となった8回目はボロの軽ワゴン車だった。
アジア巡業から帰ったら年越し前の仕分け作業に着手しよう。今日の頑張りでメドが立ったのでついお喋りが過ぎたようだ。
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