一日巡礼
ミサを7:00に済ませて巡礼に備えた。そして、10:30少し過ぎ、参加者52名を乗せてザビエル教会前を第一回一日巡礼バスが出発した。
教区巡礼委員会による初の企画巡礼。運営上の反省点はいくつか目についたものの初回にしては大成功というべきだろう。何をもって大成功というかはいろいろあると思うが、端的に言って大型バスがほぼ満席になったことが先ずは大成功。何よりも、委員会メンバーのモチベーションが高い。これこそが「教区」の名にふさわしい。まず巡礼地に関する関心度が高い。情報収集にも熱心。桜島でも殉教があったとは!
今日の巡礼に花を添えたのはサコダさんだ。信者ではないが歴史が専門で、ザビエル様前後の薩摩を巡る系図やそれにまつわるエピソードにお家騒動。原稿なしにまるでコンピューター。聞くほうはチンプンカンプン。「ダレソレガ95歳まで生きた」ことに「当時としてはスゴイよねー!」「え、誰が95歳?」「サー・・・?」キリシタン時代のご当地鹿児島薩摩の生々しい人間関係がつぶさに聞けるのは、たとえこんな調子ではあっても一日巡礼の独特な味に違いない。
今日の巡礼の圧巻はなんと言っても仏壇の町川辺(かわなべ)のキリシタン墓地訪問。ザビエル様から洗礼を受けた市来の城主新納家から川辺地頭として派遣されたキリシタンの新納一族。町の中心地平山に教会も建てられたというが痕跡をとどめるものは皆無。しかし、新納家菩提寺のお墓は目を引く。
墓石に描かれるハスの花がデザイン化されどう見てもカニの形にしか見ることのできないものが多い。カニとザビエル様。市来で洗礼を授けていた頃、「海でなくした十字架をカニがくわえて持ってきてくれた」話を何度もしたに違いない。ここ加世田の郊外川辺で、墓石にキリシタンの臭いをかぐことはできても正真正銘の信者に会うことはもはやない。だからこそ、何度も訪れて400数十年前に思いを馳せながら祈る価値はある。
加世田教会信徒の皆さんの冷たい麦茶の接待はありがたかった。6:00少し前帰館。
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炎天下話題二点
今朝10:00ATMに行った。これまで何度も通っていたのに気がつかなかったことに驚いた。
いやその前に・・・。いつだったか、「実はこんなものが」と手渡されたイラストタウンマップ。一番に目に付いた「Xavier Av.」に驚いたものだ。そんな驚きがダブルで実現したのが今朝の発見。
狭い歩道に面したビルの通用門らしき入り口の柱に同じものがもっと大きなサイズで設置されているではないか!しかもここには分かりやすく日本語で「ザビエル通り」。ビルの一階には若者向きの店が入っていて、店員らしい若者が数人いたのだがつい話しそびれた。
ともあれ、あの時は「巡礼委員会から申し入れて書いてもらったのではない」ということだったが、誰かに絶えず情報を流していると進取の気に富んだ人たちの注目を集めることになり、労せずして夢が形になる。それにしても、世の人々は何でこんなにアッサリやってくれるんだろう。
そういえば、昨日巡礼で通った伊集院へのコースには「ヤジロウの墓」(伝承)がある。そこの標識には「ザビエル記念街道」と記されてあった。間もなく設置される教会前の二つの標識も「ザビエル記念街道」にしたという。時宜に適ったことだ。
運転免許更新で午後の半日を費やした。交通安全センターまで往復2時間、講習1時間。実は、自転車で往復してみたのだ。行きと帰りではコースを変えたのだがどちらもちょうど1時間。山行きのいでたちで雨に備えたがその必要はなかった。ヘルメットをかぶっていたので炎天下でも頭は大丈夫でも、背中のリュックが大汗倍加の犯人。
産業道路沿いの何キロにもわたる長い緑地には遊歩道があってうっそうとした森もあり、炎暑から逃れるかのように親子連れや読書の人も。ヤマモモの群生地では黒く色づいた実がビッシリ。思わずよじ登って失敬しようかと思ったが人目が気になってその勇気はなかった。
そうそう、講習ではっきりしたことが一つあった。自転車は「軽車両」なので歩道ではなく、車道を走ることになっているのだという。しかも左側通行。これまでは、どんなに狭くても歩道を走っていたのだが、「車道を走ってよかったのだ!」これまで無用な遠慮をしていたことでなんだかソンをしていた感じ。そして広めの歩道の「自転車可能」(?)の標識の意味も良く分かった。
水風呂の気持ちよかったこと!
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ノリ過ぎ?
WCRP(世界宗教者平和会議)をご存知だろうか。文字通り諸宗教の人々が集い真の世界平和実現のために一丸となって協力しようというもの。
従来の仏教諸派の連合体を超えて世界の宗教者が手を取り合う必要を痛感された立正佼成会開祖庭野日敬氏が提唱者。会議を代表して自ら戦時中のベトナムに入り現地の仏教指導者と協力して戦争終結を訴え、その3年後の1973年和平が成立したという行動する会議だ。カトリックからは故白柳枢機卿も理事の一人だった。
そのWCRPの40周年を祝う諸事業が平安遷都千年にわく奈良を中心に9月に実施されるのだという。テーマは「世界を“まほろば”に~シルクロード終着の地日本からの発信~。まほろばは広辞苑によると「すぐれたよい所・国」とある。
前置きが長くなったが、実はこの集いに招待を受けたのだ。鹿児島での諸宗教対話が始まりかけたかと思ったらいきなりこれだ。
司祭になりたての頃、幼稚園のバスを運転しないといけないので大型の免許を取るように言われて教習所に通い始めた。4、5回練習したかと思ったら来週は本試験を受けるようにといわれてうろたえたものだ。今回の招待はまさにそんな感じで、いきなり晴れがましい大舞台に引っ張り出さるような戸惑いはあるがワクワク感も。
今月31日で終了するARMS DOWN署名活動に関しての報告と発信もなされるというから、世界平和のために活躍する若者たちの姿を見ることができるのも楽しみの一つだ。
昼過ぎに立正佼成会の教会長さんはじめ三名の会員の皆さんがわざわざ招待状を届けてくださった。早速、申込書をファックスした。少しノリ過ぎ?
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ロザリオは身を助く
【今日配信されたCathNews*Asiaより】ロザリオの月にふさわしいお話をお届けしよう。イギリスはアメリカの盟友としてアフガニスタンにも積極的に兵士を派遣しているが、その戦場での話。
ある時、19歳のグレン・ホックトン兵士はいつも首にかけているロザリオを落としてしまいました。思わず拾い上げようとして身をかめてビックリ。自分が立っていたのが実はまさに地雷の真上だったからです。しかも、仲間が地雷の処理作業を行っていた45分もの間そこにいたのでした。
実は、彼のおじいさんにも似たような話があるのです。第二次大戦に従軍中のことです。小隊とともに野原を横断中のことです。突然の砲撃に仲間は全滅しましたが彼だけ一命を取り留めたそうです。というのも、たまたま落としたロザリオを拾おうとして身をかがめたちょうどそのときだったのです。
グレン兵士にはロザリオにまつわる奇跡?がまだあります。彼がアフガニスタンに行くことを志願したのはなんと16歳のとき。彼の任務は、仲間が何人も命を落としたという戦闘の激しい地域でのパトロール。そのとき胸に被弾。アフガニスタンに行く時、母親からロザリオを持っていくように言われていたのでした。
小教区にいた頃、教会学校の子供たちによくロザリオを上げていたものだ。学校に行くときもポケットに入れていくようにと言って。じつは高校球児が甲子園で胸のお守りをぎゅっと握るしぐさを何度も見たのがヒント。いまごろあのロザリオたちどうなっていることか。
ともあれいつでもどこでもロザリオを!
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常不軽(じょうふきょう)考
いつもは玄関先での立ち話し程度で済ましていたのに、もっとゆっくり話したくなった。頂いた400頁ほどの三冊の本を読ましてもらっての感想だ。
最期に読んだ本は「この道」で副題は“一仏乗の世界をめざして“。法華経については全く無知だったがこんなにもカトリックの教えと似たことを説いていたとは!寂光土が神の国ということは前に書いた。常不軽(じょうふきょう)についても触れたと思うが不十分だった。若い修行僧が会う人毎に「私はあなたを決して軽んじません」と言って合掌して拝んだのは「誰もが仏になれる」からだという。
私たちは「人はみんな神の似姿であり愛される価値がある神様の子供」と言うが両手を合わせて拝んだことはない。常不軽のことを知ってからは毎日顔を合わす身近な人も通りすがりの人もだれもが実は神の似姿として「尊いお方」なんだと肝に銘じることにしたのだが、「あなたは神の似姿です」と合掌するまでには至っていない。
しかし、常不軽の生き方こそ平和への道だという法華経の教えには共感大。本文にはこうある。「とにもかくにも日常生活に生かすことができる仏教でなくては意味がない」(この道313頁15行)。
「自分は信仰を持っているというものがいても行いが伴わなければなんの役に立つでしょうか。・・・行いが伴わないなら信仰はそれだけでは死んだものです」(ヤコブ2.14以下)と全く同じことに驚く。
ともあれ、腹が立ちそうなときは「常不軽!」で「教えの真髄に遡源(そげん)」(同314頁5行)する日常の「修行」に勤めたいとは思う。足元からの平和実現のため。
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共感とチャレンジ
今週は特別大きな予定もなく、お陰で読書の時間に恵まれた。贈呈本三冊の後で、昨日から「人は何歳になっても変わることができる」という信念を日々の気づきの中で深めているという本を読んでいる。
前者は読んでいて「なるほど」と共感し感動することもたびたびだった。ほのぼのと心に沁みて次ぎを聞きたくなる。そして、自分もこんな風に生きていけたらいいなあと憧れのような思いに駆られた。
それに、今、教会に足りないのは日常生活での修行だとの実感も大。もっとも、「信仰にも練習が必要です」とはよく言ってきたことだが気合が入るので「修行」のほうがいい。それも人間関係をもっと平和なものにする修行が家庭をはじめ教会内でも真剣に求められている。前回も書いたことだが、今のところカギとなるのは「それでも!」だが「常不軽!」も強く勧めたい。
ところで現在読んでいる本は、つまるところ心の平和が中心課題だという点では前者に共通する命題だがきわめて対照的なアプローチに東西の違いを感じて面白い。
ものごとを「当たり前」で済まさない著者の誠実な生き方には敬服するが、大雑把な性格のボクには手抜きを赦さない厳しさに少し腰が引けてしまう。しかし、なぜか飽きることなく読み進んでしまうから不思議だ。走ってから考えるいい加減な性格だけに、物事をじっくり見つめ静かに思索することに憧れているのかもしれない。
法華経とカトリック。いや、新釈法華経と新釈カトリックと言ったほうがいいかもしれないが。いずれにしろ共感とチャレンジ。前者の方に駆け寄りたいのはナゼ?
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AB型的発想?
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またも法華経?
加世田教会堅信式。公式訪問としては4年ぶりと聞いて驚いた。主任司祭に会う機会が多いので気持ちの上では身近な存在でも実際にはそんなにも疎遠にしていたことが心苦しかった
「高齢化の教会」と聞いていたが実際には赤ん坊から高校生まで10人余り。それに侍者が3人も。堅信は2人の男子中学生にヤングミセスに働き盛りの壮年はプロテスタントからの改宗者。ミサ中に改宗式なるものを始めて体験した。若々しい教会だった!お御堂は枕崎教会との合同堅信式とあって超満員。はみ出して床に座る人も。
説教はまたも常不軽。当分は続くかも。「信者がもっと仲良くならないと!」「信者がもっと希望のしるしにならないと!」「信者はもっと平和の道具にならないと!」庭野日敬氏に啓発されてあせりのようなものすら感じているからだが・・・。
ミサ後のネット宣教キャンペーンを約1時間。全員熱心に聴いてくれた。ボクの長話の後で2人のネット宣教委員から強力な援護射撃。チームワークバッチリ。
幼稚園のホールに場所を移してのパーティーは持ち寄り形式でアットホーム。食事がひと段落ついたところで自己紹介。声朗々と「叱られて」を披露されたシニアパワー全開の杉山さんはみんなの人気者。急遽質問の時間が設定され、「赦しの秘蹟の時に罪が思い出せないこと、罪かどうかはっきりできないこと」などが分かち合われた。ボクの答えにはなんとなくスッキリしない風だったが「信者たちからの質問と応答」は司牧訪問の醍醐味。次回からの参考になった。
2:00からの経済問題評議会30分前に帰着。一息入れることができた。
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諸宗教ネット対話①
注文した「新釈法華三部経」が届いた。表紙を見ると⑩仏説観普賢菩薩行法経とある。どうやら、全十巻の最後のものらしいと分かった。
ともあれ、早速ページをめくった。この経典は「懺悔(さんげ)経」とも呼ばれるそうで「懺悔」についての解釈が興味深い。①誤りを自覚する。②それを改めることを心に誓う。③正しい道へ向かうことを努力する。
少し前の信者なら直ぐに思い当たるに違いない。そうなのだ、赦しの秘蹟。①良心の究明―子供の頃、「天主の十戒」に従ったおびただしい罪の個条に溜め息をつきながら、まるでレストランのメニューを選ぶように、「今日はこれとこれにしよう」と「無難そうな罪」を選んで究明を終わる。②せんぜん(漢字不明、つまり意味不明)の決心―二度と同じ過ちを犯さないと決心すること。「大変そう」だったが、「軽く決心」して告白場に向かった。③償いー判決は「ロザリオ一環」だったりした。
ところでこの③が懺悔経と大きく違う。もっとも、司祭が諭しの言葉をかけるとき日常生活でのありようについて努力するよう促すのだが、償いの祈りを済ますと放免された感じがしたものだ。「正しい道へ向かう」具体的な「修行」の方法を学ばなかった。カトリックののんびりしたところでそれはそれでいいと思うのだが・・・。赦しの秘蹟(懺悔)の前に「復活祭前に告白しました。罪の償いを果たしました」と報告がなされることからしても日常生活での「修行」がいかになおざりにされたか分かるというもの。
昔の修道院では自室でわが身に鞭を当てる「鞭打ち」という修行があったと聞く。しかもその時間になると院長さんが見回りにやってきたのだという。頭のいい人は壁をたたいたという笑い話めいたことを聞いたことがある。そんな時代に帰りたいとは思わないが「本気で信者らしくなる」秘策はないものかと思うこの頃だ。
もう少し届いた本を元に我らが伝統信仰との対話を続けてみたいが、今日はこれまで。
そうそう信者の歯科医院で「歯根が浮き出している割には歯茎がしっかりしている」とお墨付きを貰った。なんだか嬉しかった。
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暑中お見舞い申し上げます。暑い日が続きますので、どうぞ、御自愛くださいますように。
郡山司教様から、小教区時代にいただいたロザリオ大切に愛用させていただいています。いつも、ポケットに入れていつでもロザリオができるようにしています。
木製で珠の大きさが程良いので、とても使いやすくて、重宝しています。ところどころを、手で編み直しをしてくださったから、手作りのぬくもりもあって、愛情が込められているようで暖かみがあります。もちろん郡山司教様のためにも毎日お祈りさせていただいています。目に見える形、見えない形で、マリア様はたくさんのお恵みを神様に取り次いで、守っていただいているのでしょうね。これからも、ロザリオの祈りを愛するようにしたいと思います。