現在の場所: ホーム Binder 日曜日のはなし 2000年 イエスを慰めたやもめ
ナビゲーション
最近のエントリ
ペトロパウロ休日 2014年06月29日
有難うシスターたち 2014年06月27日
大分教区司祭研修会 2014年06月26日
32年ぶり班制度 2014年06月24日
梅雨の晴れ間に 2014年06月19日
 
編集操作

イエスを慰めたやもめ

作成者 admin最終変更日時 2006年03月29日 11時50分

今週の聖書

マルコによる福音マルコ12.41-44

イエスは、賽銭箱の向かいに座って、群衆がそれに金を入れる様子を見ておられた。大勢の金持ちが沢山入れていた。ところが、一人の貧しいやもめが来て、レプトン銅貨二枚、すなわち一クァドランスを入れた。イエスは、弟子たちを呼び寄せて言われた。「はっきり言っておく。この貧しいやもめは、賽銭箱に入れている人の中で、誰よりも沢山入れた。皆は有り余る中から入れたが、この人は、乏しい中から自分の持っているものをすべて、生活費を全部入れたからである。

今週のポイント「ああ、又イエスの厳しい要求。そんなこととても…。」
「そりゃ、そうだ。献金は多ければいいというもんではない。心をこめてすることが大切。」

いずれも見当はずれ。しかし、キーワードは「全部」。つまり、「全部の信仰」。「弟子たちを呼び寄せて言われた」ことに注目。さらに、イエスが12名を指名されたときのことに帰らないといけない。「イエスが山に登って、これと思う人々を呼び集められると、彼らはそばに集まってきた。(略)彼らを自分の側に置くため、また、派遣して宣教させ…」(マルコ3,13-15)マルコ独特の表現。マタイ、ルカにはない。

側において、特別の訓練をするため。だから、訓練が実らなかったら失望する。自分の意図することを分かってもらえなかったら悲しい。怒りも湧こう。今のイエスと弟子たちの現実。このイエスの孤独を癒したのが、あの盲人バルテマイだった。そして、今、なけなしの金をはたくやもめが…。

死出の旅路の最終ステージに至って、神殿の、とある一角に腰を下ろして群集を眺めると、何を祈るか献金をする人々の群れ。イエスは、一人のやもめに目を留め、すばやく「弟子たちを呼び寄せて言われた。」「見ろ、あのやもめを。なけなしの金をはたいているぞ。あの信仰が分かるか。全部の信仰。…」先を続けようとするイエスの中にはもう一つの思いがあった。「あの姿こそ、自分がもうすぐ試される信仰なのだ。」十字架を背負う自分の姿とやもめが重なった。深い感銘と共に心慰められたイエス。「ありがとう。」思わず、イエスの口から言葉が漏れた。

それにしても、イエスのすぐ側にいたのが、側に置くために呼ばれた弟子たちではなく、行きずりのやもめだったとは!孤独なイエスを支えたのが弟子たちではなく、見知らぬやもめだったとは!

そして、ぼくは思う。ゲッセマネのイエスを。「イエスは、恐れ、もだえ始め、…私は死ぬばかりに悲しい。」(マルコ14,34)お願いだから、「離れないで、起きててくれ!」弟子たちに哀願するイエス。だが、彼らは眠った。イエスの心細さは極まった。「ああ、父よ、もう沢山だー!」そのとき、何故か、「見えるようになりたい!」と必死に叫ぶあのバルテマイ(マルコ10,46-52)の窪んだ顔が浮かんだ。一途な叫び。純な信仰。そして、唇をきりっと結び、意を決したようなやもめの顔が続いた。「しかし、私が願うことではなく、御心に適うことが行われますように。」胸を打ちながら、何とか父から離れずにすんだイエス。やもめに学んだ「全部の信仰」!。
「ホントにありがとう!」イエスは二人に感謝した。

自分と最後まで旅を続けて欲しい。イエスはあなたにも「全部の信仰」を求めておられる。


Powered by Plone CMS, the Open Source Content Management System

このサイトは次の標準に準拠しています: