現在の場所: ホーム Binder 日曜日のはなし 2002年 あなたが呼ばれた本当のワケは?
ナビゲーション
最近のエントリ
ペトロパウロ休日 2014年06月29日
有難うシスターたち 2014年06月27日
大分教区司祭研修会 2014年06月26日
32年ぶり班制度 2014年06月24日
梅雨の晴れ間に 2014年06月19日
 
編集操作

あなたが呼ばれた本当のワケは?

作成者 admin最終変更日時 2006年03月29日 22時59分

今週の聖書

マタイによる福音9,36-10,1,5-7

2002.6.17記

 群衆が、飼い主のいない羊のように弱り果てて、打ちひしがれているのを見て、深く憐れまれた。そこで、弟子たちに言われた。「収穫は多いが、働き手が少ない。だから、収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい。」
 イエスは十二人を呼び寄せ、汚れた霊に対する権能をお授けになった。
 イエスは、この十二人を派遣するに当たり、次のように命じられた。「異邦人の道に行ってはならない。また、サマリア人の街に入ってはならない。むしろ、イスラエルの家の失われた羊のところへ行きなさい。言って、『天の国は近づいた』と述べ伝えなさい。病人を癒し、死者を生き返らせ、(略)

今週のポイント「司祭のなり手がいない。」
教会当局側も、信徒側も、打つ手もなく、しかし諦めることもなく この箇所を引用したり、思い起こしたりする。

イエスも同じように嘆いた。そして、手を打った。「十二人を呼び寄せ」た。
こうして、教会のもとが築かれていった。
教会のもと。だから、教会当局側だけでなく、信徒側も呼ばれた。

で、あなたも呼ばれた一人として、本当のワケを知る必要がある。
しかも、この教会の恒常的閉塞感を打破する切り札として。

ここにその切り札となって働く人達を紹介したい。
その名も、「新求道共同体」。
どこかで聞いたことのある名前だと思うが、
司教、司祭の中には毛嫌いする向きもあり、追放を叫ぶ司祭もいるとか。
ま、理由は、いろいろあると思うが…。

で、「新…」に何が起こっているか結論だけ言うと、
まず、平均的日本人信者の平均的無難な信仰者がみことばに親しみ、
信仰の質を上げるべく教理の勉強にせいだす。
その変化に気づいた子供たちが、信仰に目覚め、教会復帰が実現する。
そして、熱くもなく冷たくもない信者の家庭が、 信仰という共通の価値観に結ばれた信仰共同体に進化する。
そうした中から、不必要な消費的生活に見切りを付け、 シンプルな生活スタイルを選び取ることで豊かな人生を切り開く。
そして、自分たちのために働く司祭を支え、 自らも宣教家族となって地域に、「神の国は近づいた」しるしとなっていく。

ここまで話を聞くと、 「自分の近くにも熱心で模範的な家族がいて、子供たちは、司祭や修道女で…」 という話しになると思う。

しかし、普通にミサに与り、普通に人のうわさ話をし、普通にケンカもする そんなごく普通の家族が、一つの養成プログラムと適切な指導のもとに 上記のような例外的な模範家族にも増して、 他に開かれた輝く家族に変貌していく。
問題に直面した家族には、家族ぐるみで関わり、経済的支援も惜しまない。
そこでは、 誰もが体験している閉塞感に満ちた日本教会の現実とは無縁?の世界がある。
若者が喜々として集う教会。

人によっては、そんなウマイ話、 望んでも栄に描いた餅のごとき遥かな「神の国」の幻影と写るかも知れない。

うまい話には、ウラがあるとか、日本的でないとか、分裂のもとなどなど。
ま、何にしろ、イチャモンがつくのは世の常。
しかし、そんな力強い運動体に「ノー!」を唱える人達に それに変わる打開策が講じられているかと聞くと、やはり、「ノー」だ。
「いつまでも議論に明け暮れる教会は使い物にならない」 と思うのだが…。
ま、それはともかくとして、 「この教会の自民党的な閉塞感に風穴を開けられるかも知れない。」 顔を輝かせながら話す元司教さんの熱い話しに イエスに呼ばれた十二人の「教会のもと」が
当時のユダヤ教社会に風穴を開けた事実を思わないわけにはいかなかった。
で、 みんなが呼ばれた本当のワケは? やっぱり聞きたい。


Powered by Plone CMS, the Open Source Content Management System

このサイトは次の標準に準拠しています: