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閉塞感を打開する新時代へのキーワード

作成者 admin最終変更日時 2006年03月30日 11時07分

今週の聖書

ルカによる福音1,26-35

2002.12.23記

天使ガブリエルは、ナザレというガリラヤの町に神から遣わされた。ダビデ家のヨセフという人のいいなずけであるおとめのところに遣わされたのである。そのおとめの名はマリアといった。天使は彼女のところにきて言った。「おめでとう。恵まれた方。主があなたと主におられる。」マリアはこの言葉に戸惑い、一体この挨拶は何のことかと考え込んだ。すると、天使は言った。「マリア恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。あなたは身ごもって男の子を産むが、その名をイエスと名付けなさい。その子は偉大な人になり、いと高き方のこと言われる。神である主は、彼に父ダビデの王座を下さる。彼は永遠にヤコブの家を治め、その支配は終わることがない。」マリアは天使に言った。「どうしてそのようなことがあり得ましょうか。私は男この人知りませんのに。」天使は答えた。「聖霊があなたに下り、いと高き方の力があなたを包む。だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる。(略)」
マリアは言った。「私は主のはしためです。お言葉通りこの身になりますように。」そこで、天使は去っていった。

今週のポイント新しい歴史の扉を開いたマリアの言葉。
「…お言葉通り、この身になりますように。」

映画の始まりに、何気なくクローズアップされた気になる場面。
実は、それが事件の鍵を握ることに。

マリア様の「なれかし」はこれから始まる壮大なドラマの始まりであり
重大な局面における鍵となる言葉だった。
しかもそのドラマは、観客を登場人物にしてしまう
筋書きがあるような無いようなみんなで作るドラマなのだ。
しかし、我々にとってドラマの結末はもう分かっているのだが、
それだけに、自分たちで作るという実感に乏しく
いまいち、ドラマに乗り切れていないところが我ながら歯がゆい。
まさに、信仰の閉塞感。

捜査の行き詰まりを打開する手だてとなった
プロローグでのあの意味ありげな大写しのワンカット。
事件ははじめに戻り、そして一挙に解決へ。
そんな局面打開の切り札となるのが
受胎告知でのマリア様の言葉、「Let it be doneなれかし。」
ビートルズでなくても、
みんなが、少なくとも信者を自認する者みんなが、
初めの大写しに立ち戻って
自分の人生のドラマを子細に眺めると
様々な未解決の場面や事件?に一挙に光が当てられ
新しい局面が開けてくることに気がつくだろう。

マリア様の生涯のあらゆる場面で前進する力となった「なれかし」。
マリア様は、自分の言葉に最後まで忠実だった。
大きなお腹を抱えての危険な長旅。
宿屋が無くて、家畜小屋での出産。
エジプトへの逃避行。
神殿でイエスとはぐれた事件。
イエスが、放浪の宣教活動に出た時。
そして、十字架でのイエスのむごい最後。

「…彼に父ダビデの王座を下さる。」
そんな栄光の約束とは裏腹なむごい別離。
マリア様の最後の「なれかし!」

人を不安にする不透明感、いらだちを募らせる閉塞感。
あなたが、問題を外に探すなら、局面打開はならない。

「なれかし!」
信仰の原点としての大写しのワンカット。
幼子がもうすぐ誕生する。
そして、あなたの新しい時代が始まる。


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