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聖家族のしたたかさ?

作成者 admin最終変更日時 2006年03月30日 11時09分

今週の聖書

ルカによる福音2,22-40

 2002.12.29記

モーセの律法に定めらた定めの期間が過ぎたとき、両親はその子を主に捧げるためエルサレムに連れて行った。それは、主の律法に、「初めて産まれる男子は皆、主のために聖別される」と書いてあるからである。また、主の律法に言われているとおり、に、山鳩一つがいか、家鳩のヒナ二羽をいけにえとして捧げるためであった。
(略)
 …両親は、幼子のために律法の規定通りにいけにえを捧げようとして、イエスを連れてきた。シメオンは幼子を腕に抱き、神を称えて言った。「主よ、今こそあなたは、お言葉通りこの僕を安らかに去らせて下さいます。私はこの目であなたの救いを見たからです。これは万民のために整えて下さった救いで、異邦人を照らす啓示の光り、、あなたの民イスラエルの誉れです。」
 父と母は、幼子についてこのように言われたことに驚いていた。(略)
 親子は主の律法で定められたことを皆なし終えたので、自分たちの町であるガリラヤのナザレに帰った。幼子はたくましく育ち、知恵に満ち、神の恵みに包まれていた。

今週のポイントヨセフ様。アブラハムの生き写し。アブラハム、全ての人の父と
賞されるだけあって、一度も神逆らったこと無く、信仰一途。
自分の損得を顧みないほどに広い心の持ち主。
創世記はアブラハムを一点の曇りのない人として描く。
記述の少ないヨセフ様のイメージはアブラハムと重なる。
、天使の勧めのままに、一度は、密かに離別を決意したマリアを迎えることに。

石切大工というもっとも厳しい労働者だったヨセフ様は 頑強な体格を生かした働き者。
汗と粉じんにまみれて毎日手にする貴重な現金。 貧しくとも、イエス様にはしっかり食べさせることが出来た。 だから、「幼子はたくましく育った」のだ。

マリア様、アブラハムの奥さんサラを凌ぐ女性。 15,6才の若さもさることながら、
イサクの誕生を笑って信じなかったサラと違い 年に似合わない決断の早さ。

そうなのだ。イエス様の「たくましさ」のもう一つの秘訣がここにある。 決断の早さ。
これこそ、両親から学んだものだった。 いつまでもうじうじと悩まない。 産後わずか40日という清めの期間が過ぎたので、 ということは、 生後40日の子供を連れてエルサレムまでの数日の旅に出る。
産後40日の母親がどんな状態か知らないが、 マリア様には産後のひだちがどうのという問題は無かったほどに これまた元気印の女性だったかも知れないとしても、 エルサレムまでの旅は危険だったと思われるのだが…。

いずれにしろ、お告げの時に始まり、馬小屋での出産、 そして、今回の必ずしも時宜を得たと思われないエルサレムへの旅。 天の声であろうとなかろうと、 決まりは決まりとして、律儀に従える軽やかな心。 そして、心の中で響き続ける、あの「なれかし」。

両親の決断の早さは、速戦即決のやり手のイメージではなく、 実は、なれかしに裏打ちされた心の軽やかさなのだ。 俗な言い方をすれば、語弊はあるが、身代わりのはやさ。 もっと俗な言い方をすれば、ハイハイと言いつつ、 自分自身であり続けることの出来るしたたかさ。 この芸当は、実は、俗な心では出来ないのだ。

イエス様をたくましい子、知恵に満ち、神に愛されるほどの子に育て上げた 貧しても、明るく、円満で、 「なれかし」を合い言葉にしたたかに生きた聖家族に乾杯。 そして、皆さんの家族にも。 良い年をお迎え下さい。


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