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イエスの孤独の祈りが意味するものは?

by admin last modified 2006-03-30 12:28

今週の聖書

マルコによる福音1,29-30

2003.2.10記

イエスは会堂を出て、シモンとアンデレの家に行った。ヤコブとヨハネも一緒だった。シモンの姑が熱を出していたので、人々は早速、彼女のことをイエスに話した。イエスが側に行き、手を取って起こされると、熱は去り、彼女は一同をもてなした。夕方になって日が沈むと、人々は病人や悪霊にとりつかれた者を皆、イエスのもとに連れてきた。町中の人が、戸口に集まった。イエスは、いろいろな病気にかかっている大勢の人たちをいやし、また、多くの悪霊を追い出して、悪霊にものを言うことをお許しにならなかった。悪霊はイエスを知っていたからである。
 朝早くまだ暗い内に、イエスは起きて、人里離れたところへ出て行き、そこで祈っておられた。(略)

今週のポイント聖書を読むとイエスが、行く先々で多くの病人に囲まれている印象が強い。
きっとそうだったに違いない。
しかし、来る日も来る日もそうだったとしたら気が滅入らなかったのだろうか。
それに、いっこうに改善される気配のない極端な貧富の差。
出るのはため息ばかり…、ではなかったのか。

日本の国は何もかもダメになって世界から見捨てられつつある。
多くの人が溜息ばかりつく中で、
世界初や世界一を達成している元気な企業も沢山あるという。

イエスは、もっとひどい社会環境の中で、 暗い状況に押しつぶされないだけの気力に満ちているようで頼もしい。
確かに、人々の要求に応え続けることは疲れることに違いない。
しかし、それ以上に、自分の価値観や夢を共有できないことは それに命をかけていればいるほど、悩み深いことに違いない。
イエスに悩みがあったとすれば、そういうことではなかったか。
だから、「…人里離れたところへ出て行き、そこで祈っておられた」?
たんに疲れたからでないことは祈っておられた、とあることで分かるのだが…。

物の本によると、祈という漢字は、具体的なことを祈り求める以外に、
「常に神に対しているという平静の心情」をも意味すらしい。

どんなことにしろ、独りになることは必要な生き方だと今では思う。
「常に神に対しているという平静の心情」を確認し、その状態を保つために
特別の時間を割くとすれば、人々から離れなければならない。
「成功・賞賛」を価値とするこの世の気にからめ取られてしまわないために。
孤独の時間がとれるほど現実は生やさしくないかも知れないが…。

分かって貰えないことを嘆くのでもなく、ましてやそのことで世を裁くのでもなく 独り、黙々と祈ることで、世を愛し続ける神である父の気に身をさらし 人々の要求に応えながらも気力を失うことなく 最後まで神の気を分かち続けたイエスこそ信者の元気のもと。
イエスの癒しの業は今も有効。


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