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牧者パウロの愛は深く

作成者 admin最終変更日時 2006年03月30日 22時19分

2004.11.7(年間第32主日)ミサ説教音声
音声を聞くためにはReal Playerが必要です。無料でダウンロードして使うことが出来ます。

今週の聖書 

Ⅱテサロニケ2,16-3,5

 わたしたちの主イエス・キリスト御自身、ならびに、わたしたちを愛して、永遠の慰めと確かな希望とを恵みによって与えてくださる、わたしたちの父である神が、どうか、あなたがたの心を励まし、また強め、いつも善い働きをし、善い言葉を語る者としてくださるように。
終わりに、兄弟たち、わたしたちのために祈ってください。主の言葉が、あなたがたのところでそうであったように、速やかに宣べ伝えられ、あがめられるように、また、わたしたちが道に外れた悪人どもから逃れられるように、と祈ってください。すべての人に、信仰があるわけではないのです。
しかし、主は真実な方です。必ずあなたがたを強め、悪い者から守ってくださいます。
そして、わたしたちが命令することを、あなたがたは現に実行しており、また、これからもきっと実行してくれることと、主によって確信しています。
どうか、主が、あなたがたに神の愛とキリストの忍耐とを深く悟らせてくださるように。
(日本聖書協会『聖書 新共同訳』 より)

今週のポイントテサロニケはギリシャの港町。アテネオリンピックのサッカー会場として、世界に知られた現代の名はケサロニキ。その昔、パウロの獅子奮迅の働きで大きなキリスト教共同体が出来たという。ユダヤ教徒からの改宗者もいたが、多くはギリシャ人キリスト信者で、ユダヤ教徒の迫害は過酷を極めたという。そんな厳しい環境下にある信者たちに送られた手紙は力強く、彼らに対する愛にあふれている。
 「わたしたちの父である神が、どうか、あなたがたの心を励まし、また強め、いつも善い働きをし、善い言葉を語る者としてくださるように。」パウロに招かれてキリストの福音に触れ、これまでと全く違う人生の風景を見るようになったテサロニケの信者たちの心に、切々と響いたに違いない。

 「善い言葉を語る者としてくださるように。」慰めと希望を与える「善い言葉。」
 ずいぶん前のことになるが、大学生の姪と食事をした時のことを忘れることが出来ない。無造作にご馳走を残す彼女を、身内の気安さで、ついキツイ言葉で叱った。何と、彼女が泣きながら抗弁した。「ダッテ、そんな風な言い方お母さんにもされたことないんだモン!」
 「神父さん、説教でイヤミを言うんだもんな・・・。」
 「神父さんの口からそんな言葉は聞きたくなかった・・・。」
 パウロのこの言葉が特に心に響いたのは、次々と脳裏に蘇る「失望させる言葉の数々」に違いない。
 「司祭は、いつも信者を励ます者でありなさい」という父の生前の口癖までも蘇って、自分の軽口(かるくち)癖をパウロに見透かされたようで身が縮む。

 そんな自分の現実を振り返るに・・・。
 あの時、確かに「同等の気安さ」という思いこみ・実りのない働きへの失望感・人と自分を比較した劣等感、などなど。迫害という言葉が死後になった平和な時代に、司祭を自称しながらも、非福音的自分の殻に閉じこもり、心の自由を失い、周りの人をも巻き込んだ赤面の記憶。荒削りの信仰のそしりは免れない。もっとも、いまだに引きずる現実ではあるが・・・。

 平和な日々ならなおのこと、たとえ、信仰の自由が不当に妨げられるような現実に遭遇したとしても、「神の愛とキリストの忍耐とを」心に深く刻んで、「善い言葉を語る」信者であり続けるように。波瀾万丈、使徒の道を貫徹したパウロが穏やかに語った土曜の昼下がり。


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