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王様と家来の話

作成者 admin最終変更日時 2006年03月31日 10時51分

年間第24主日のミサ説教音声(2005.9.11)

音声を聞くためにはReal Playerが必要です。無料でダウンロードして使うことが出来ます。

今週の聖書

マタ18:21- 35

 そのとき、ペトロがイエスのところに来て言った。「主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯したなら、何回赦すべきでしょうか。七回までですか。」イエスは言われた。「あなたに言っておく。七回どころか七の七十倍までも赦しなさい。そこで、天の国は次のようにたとえられる。ある王が、家来たちに貸した金の決済をしようとした。 決済し始めたところ、一万タラントン借金している家来が、王の前に連れて来られた。しかし、返済できなかったので、主君はこの家来に、自分も妻も子も、また持ち物も全部売って返済するように命じた。家来はひれ伏し、『どうか待ってください。きっと全部お返しします』としきりに願った。その家来の主君は憐れに思って、彼を赦し、その借金を帳消しにしてやった。ところが、この家来は外に出て、自分に百デナリオンの借金をしている仲間に出会うと、捕まえて首を絞め、『借金を返せ』と言った。仲間はひれ伏して、『どうか待ってくれ。返すから』としきりに頼んだ。しかし、承知せず、その仲間を引っぱって行き、借金を返すまでと牢に入れた。仲間たちは、事の次第を見て非常に心を痛め、主君の前に出て事件を残らず告げた。そこで、主君はその家来を呼びつけて言った。『不届きな家来だ。お前が頼んだから、借金を全部帳消しにしてやったのだ。わたしがお前を憐れんでやったように、お前も自分の仲間を憐れんでやるべきではなかったか。』そして、主君は怒って、借金をすっかり返済するまでと、家来を牢役人に引き渡した。あなたがたの一人一人が、心から兄弟を赦さないなら、わたしの天の父もあなたがたに同じようになさるであろう。」

(日本聖書協会『聖書 新共同訳』 より)


今週のポイント 今日の長い話は、回数にこだわると、「何回でも赦しなさい」というありきたり?の結論を得て、頭の理解で終わってしまう。もちろん、無制限の許しは神様からの恵みとして誰もが頂いている事実なので、「ありきたり」という言い方は適当ではないが、「出来そうにもない・・・、と繰り返し悩んで当たり前」と思っているのではないか。だから、自分の生き方を変えるほどに力をもたないお題目というか、教えの一つになっていないか、という自戒を込めての話。

 突然、違う話になるが、責任は英語でresponsibilityレスポンサビリティ。答える能力という意味。今読んでいる「戦後責任論」(注参照)の著者によると「責任=応答可能性」。声をかけられたら答える態勢にあること。答えない場合は、声をかけた人との関係をやめてしまうことを意味する。単に、「答える能力がある」という抽象的理解でなく、人との関わりにまで及ぶ理解が新鮮。

 そうした見解に立って今日の本文を読み直して気がついたのは、この話は、「王様との関わりを粗末にした無責任な家来の話だ!」

 莫大な借金を免除してもらった!
 夢じゃなかろうか!?イタッ!やっぱり本当らしい。ああ、ありがたやありがたや。
 心配を分かち合った家族にしらせ、手を取り合って小躍りしてバンザイ万歳!
 それにしても、王様は本気なんだろうな。何か下心でも?まさか、あのときの王様はいかにもワシを気の毒そうにご覧になっておられたし・・・、「本当ですか?本当ですか?」と何度もお聞きしたら、優しいお顔で、「だって、ない袖は振れない、だろう?」と言われてワシの顔を覗き込まれた。あのときの王様の大きな澄んだ目を見てワシの疑念は消え、それで、ようやく王様の前から退席したのだった。
 それにしても、あの王様、いかに人格円満なお方だとは言え、こんな自分のことを心にかけてくださって、しかも、王様ご自身のほうから先に声をかけて下さったとは!そう言えば、仲間の一人が、王様に借金を免除してもらった話を得意そうにしたことがあるが、あのときは、「いいなあ」と人事みたいに聞いたもんだった。しかし、まさかこのワシにも同じことをしてくださるなんて・・・。イヤあ、考えれば考えるほど夢見たいで・・・。

 家来の独演会は尽きることがない、ハズだった!

 しかし、借金免除で身も心も軽くなった感謝感謝の毎日は、感激が薄れると共に、いつしか、これまでと同じ平凡で怠惰な生活に戻ったのだった。しかも、王様から身に余る好意を受けたことを鼻にかけて威張り、そして、仲間の些細な間違いや失敗、さらに、時効になったようなわずかの借金に対しても咎めるようになり、「人が変わった!」と喜んでいた仲間たちを大いに失望させることとなったのだった。何よりも、当然のことながら、王様の失望は言葉に尽くせないほどのものだった。

 ということで、これは、借金を免除した王様のご意向を無駄にし、王様だけでなく仲間との関わりをも台無しにした無責任な家来のお話しでした。

 ところで今日は9.11。
 テロの無責任さもさることながら、「あの戦争は間違いでした」と言うアメリカの無責任さ、戦後の責任をいまだにとろうとしない日本の無責任さ。せめて清き一票で責任を果たしたい。信者の足元での応答が求められている。
(注)高橋哲哉著 講談社学術文庫 29頁以降


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