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あなた方は地の塩、世の光

作成者 admin最終変更日時 2006年03月29日 15時17分

今週の聖書

マタイによる福音5,13-16

2002.2.9記

あなた方は地の塩である。だが、塩に塩気がなくなれば、その塩は何によって塩味が付けられよう。もはや、何の役にも立たず、外に投げ捨てられ、人々に踏みつけられるだけである。
あなた方は世の光である。
山の上にある町は隠れることが出来ない。
まあた、灯火をともして、升の下に置く者はいない。燭台の上に置く。そうすれば、家の中のもの全てを照らすのである。
そのように、あなた方の光を人々の前に輝かしなさい。
人々が、あなた方の立派な行いを見て、あなた方の天の父をあがめるようになるためである。

今週のポイント「世界が見捨てた国。」世界中が、アフガン、アフガンと騒ぎ出した時
緒方貞子女史は、そう言って世界を批判した。

時は紀元30年。イエスの前に集まった「大勢の群衆」。
それはまさに、
「 飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれているのを見て、
深く憐れまれた」(マタ9:36)群衆だった。

ボロをまとい、飲まず食わずで、
「ガリラヤ、デカポリス、エルサレム、ユダヤ、ヨルダン川の向こう側から」(マタイ4,25)
集まった、希望なき明日を生きなければならない見捨てられた人々に向かって
「あなた方は地の塩、世の光」とは!

「わしらが地の塩、世の光だって!?」
人々は、自嘲的に叫び、反論したかというとそうではなかった!
「群衆はその教えに非常に驚いた。
彼らの律法学者のようにではなく、
権威ある者としてお教えになったからである。」(マタ7:29 )

見捨てられたような群衆の驚きとは?
彼らは一体何に驚いたというのか?
同じようなボロをまとったイエスに見いだした権威とは?

あなた方は生きる価値がある。
あなた方は自分を誇る値打ちのあるものだ。
あなた方はガラクタなんかではない!
おん父のかけがえのない子供達なのだ。

律法学者達が決して教えたことのない「権威ある新しい教え」(マルコ1,27)
であることが分かったのだった。
そうなのだ。彼らが貧しさの中で見失っていたのは
イエスが、高らかに歌い上げたこの「人間讃歌」だったのだ。

ところで、時は2002年。世は不況不況の経済苦。
いや、それよりも、少年から大人に至るまで犯罪犯罪の精神不況。
日本社会が見失った真の人間讃歌。

で、そんな日本人のあなたは地の塩、世の光。


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