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軽やかに、晴れやかに

作成者 admin最終変更日時 2006年03月30日 23時06分

聖霊降臨の主日ミサ説教音声(2005.5.15)

音声を聞くためにはReal Playerが必要です。無料でダウンロードして使うことが出来ます。 

今週の聖書

使徒2,1-7

 五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。すると、一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。
 さて、エルサレムには天下のあらゆる国から帰って来た、信心深いユダヤ人が住んでいたが、
この物音に大勢の人が集まって来た。そして、だれもかれも、自分の故郷の言葉が話されているのを聞いて、あっけにとられてしまった。
人々は驚き怪しんで言った。「話をしているこの人たちは、皆ガリラヤの人ではないか。(略)
(日本聖書協会『聖書 新共同訳』 より)


今週のポイント昨日は二ヶ月に一度のME(Marriage Encounter夫婦の集い)の例会。テーマは「あなたの優越感は何ですか?」夫婦の間で、職場の人間関係で感じる様々な優越感。いつものように分ち合いは明るく笑いの中で。あっけらかんと自分の心の扉を開けて分かち合う夫婦たちと共に過ごす時間は、教会の原体験と言っても過言ではない。

 長年連れ添っても、体験したことのない新しい関わりの発見。つまり、心の障壁が取り払われて、これまでにない、あるいはこれまでにも増して軽やかで晴れやかな、なおかつ、細やかな気配りに満ちた関わりが持てるのが嬉しい。そんな印象の夫婦たちの姿は、聖霊を受けた弟子たちが、恐れることなく語り出した教会誕生の瞬間に重なる。

 あの時、「ユダヤ人を恐れて」、まるで金縛りにでもあったかのように身を堅くしながら家の中に閉じこもっていた弟子たちが、エイヤッとばかりに鎖を断ち切り、おもてに飛び出していったのは、間違いなく、主から背中をドンと押されてからだった。「私がいるではないか。何を怖がっているのか。さっさと出て行くのだ。みんなに聞いたことを語るのだ。さあ、行くのだ。」叱責にも似た主からの呼びかけ。久しぶりに蘇った主の声にハッと顔を上げたみんなの視線が合った。心のやみが払われ、主を失った言いようのない喪失感は雲散霧消。晴れ晴れとした高揚感。「何でこんなところでグズグズしているんだ。さあ行こう。」みんなの気持ちが一つになった。不安、無気力、自信喪失、そして分裂。そんな危機から立ち直った時。実は、それが教会の誕生の瞬間だったのだ。

 今日の第一朗読の聖霊降臨の模様を自分なりに読むとこのようになる。

 聖霊、風、息吹が同じ言葉だと聞くにつれ、聖霊の特徴は、「つかみ所がない、自由奔放」、何よりも「超身軽」と言えるように思う。そんな聖霊を受けて誕生した教会の特徴もまた超身軽。そのメンバーである信者の特徴も同じく超身軽のハズ。
 あなたの自分自身に対する思い、ややこしいことの多い人間関係の中での自分に求められているのはただ一つ。超身軽。ややこしい人間関係何のその。子育ての苦労も何のその。園児減少何のその。リストラされても何のその。会社が傾いても何のその。自分もあまり自信はないが、例外がないのが超身軽の特徴。教会の原始の姿。

 ともあれ、あの弟子たちのように、あの夫婦たちのように、何よりも世界を駆けたた我らが誇るヨハネパウロ二世のように、軽やかに、晴れやかに。そんな一週間を祈ります。


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