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ノーモアお困りご近所

作成者 admin最終変更日時 2006年04月04日 13時50分

年間第25主日のミサ説教音声(2005.9.25)

音声を聞くためにはReal Playerが必要です。無料でダウンロードして使うことが出来ます。 

今週の聖書
フィリピ2:1ー11

 そこで、あなたがたに幾らかでも、キリストによる励まし、愛の慰め、“霊”による交わり、それに慈しみや憐れみの心があるなら、

2同じ思いとなり、同じ愛を抱き、心を合わせ、思いを一つにして、わたしの喜びを満たしてください。3何事も利己心や虚栄心からするのではなく、へりくだって、互いに相手を自分よりも優れた者と考え、4めいめい自分のことだけでなく、他人のことにも注意を払いなさい。

5 互いにこのことを心がけなさい。それはキリスト・イエスにもみられるものです。6キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、7かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、8へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。9このため、神はキリストを高く上げ、あらゆる名にまさる名をお与えになりました。10こうして、天上のもの、地上のもの、地下のものがすべて、イエスの御名にひざまずき、11すべての舌が、「イエス・キリストは主である」と公に宣べて、父である神をたたえるのです。(日本聖書協会『聖書 新共同訳』 より)


今週のポイント 「 2同じ思いとなり、同じ愛を抱き、心を合わせ、思いを一つにして、わたしの喜びを満たしてください。3何事も利己心や虚栄心からするのではなく、へりくだって、互いに相手を自分よりも優れた者と考え、4めいめい自分のことだけでなく、他人のことにも注意を払いなさい。」

 パウロがそんなお願いをしたくなったのは、パウロ自身かつては、ローマ人としての誇りを唯一の価値としてキリスト教徒の迫害に明け暮れた過去が心から離れていないからかもしれない。少なくとも、こうした事細かな願いをしたくなった理由がフィリピの教会にはあったに違いない。

 人間の集まりである教会に問題があるのは当然だとしても、いろいろの問題を乗り越える努力というものが必要なのはいうまでもない。かといって、妙案がるわけでもない。仕方がないといってあきらめようとしたり、いよいよとなったら静かに身を引くなど、「信者らしい解決策」というものがなかなか思い浮かばないのが普通ではないか。

 そんなお困りご近所に、「5 互いにこのことを心がけなさい」と言ってパウロが提供した妙案が、十字架のキリスト。それは、まったく意表をつく提案であったので、賛成できないと言う人が少なからずいたに違いない。イヤ、確かに今もそのような人は多いようだ。その証拠に、パウロの時代から2000年たった今も、教会はさまざまな問題を乗り越えていないばかりか、ますます、パウロの提案など見向きもしなくなった信者は倍増した感すらあるではないか。

 賛成できない、理由は、「自分はキリストではない。自分を無にすることなど出来ない」というもの。イヤ、そうではなくて、実は、それほど困っていない、からかもしれない。むしろ、何も信者だから起こる問題ではなく、世間一般、どこでも起こっている問題なので、それほどショックではないのかもしれない。まさか、時々、かげでコソコソ話しをする程度で発散させれば済むことと思っているわけではあるまい。

 ともかく、そういうことでパウロの妙案に賛成できない人がいるとしたら、ボクはパウロの弁護に回りたい。これこそ、究極の妙案です!と声を大にして言いたい。とくに理屈で鍛えられた司祭たちは、頭で解決することに長けているので難しいから、手に余るとしても、信徒は純粋な人が多いので、この人たちには繰り返し同じことを言い続けたい。

 十字架のキリストの元に帰らずして他の妙案はない。血を流し、うなだれたままの惨めな姿を直視せずして妙案は浮かばない。黙して語らない十字架のキリストの沈黙を聞かずして新しい道は開かれない。身を引き裂く痛みのなかで、自分の一切の尊厳と主張を剥奪されて、なおも、抗することなく、しかも、槍を向ける人々のために執り成しの祈りを御父に捧げたキリストの深い心を味わうことなくして信者を名乗ることは不遜すぎる。そんな生身のキリストの前で、「自分の主義、主張がナンボノモンヤ」と感ぜずして何事も新たにはならない。

 そうなのだ、この、「生身のキリストの十字架」に戻る信仰の姿の回復こそが、信者らしい、お困りご近所の難問解決の妙案。試す価値は120%。


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