旅先で息子を失ったマリアの痛み
作成者 admin
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最終変更日時
2006年03月29日 11時50分
ヨハネによる福音19.25-27
イエスの十字架のそばには、その母と母の姉妹、クロパの妻マリアとマグダラのマリアとが立っていた。イエスは、母とそのそばにいる愛する弟子とを見て、母に、「婦人よ、御覧なさい。あなたの子です」と言われた。それから弟子に言われた。「見なさい。あなたの母です。」そのときから、この弟子はイエスの母を自分の家に引き取った。
イエスの十字架での死というと、信者でなくても、イエスのなきがらを抱いている嘆きの聖母像、いわゆるピエタを思い起こす人は多いと思う。信者であれば、「マリアは立っている。十字架の下に。苦しむ我が子を見つめ‥」という典礼聖歌を口ずさむ人もいるかと思う。好きな聖歌のひとつである。しかし、マリアは、本当に、十字架の下にいたのか。
マタイ、マルコ、ルカはいづれもそのことに触れていないのはなぜか。しかも、三人とも、イエスの死を見取り、葬られた墓を見とどけた婦人たちの具体的な名前を挙げ、ガリラヤから来たことを明記しているのに、イエスの母マリアの名前が出てこないのはどうしてか。素朴な疑問だ。
「マリアは、十字架の下にはいなかった。ナザレの村にいた。」そんな想像は必ずしも間違っていない。理由は次の三点。
まず、一つは、上述の三人が触れていないということ。
二つ目は、マリアが熱狂的な婦人支持者たちと行動をともにしたとは考えにくい。「お言葉どおりこの身に成りますよう」(ルカ1,38)という天使への返事。羊飼いたちがイエスの誕生を聞きつけてやってきたとき、「マリアはこれらの出来事をすべて心に納めて、思い巡らしていた」(ルカ2,19)こと。神殿でのイエスとそれに続くイエスの不可解な返事。「どうして私を探したのですか。私が、自分の父の家にいるのは当たり前だということを知らなかったのですか。」しかし、「母は、これらのことをすべて心に納めていた。」(ルカ2,51)
で、マリアは、イエスの安否を気遣いながらも、神のみ心を求めながら、ひっそりとナザレの村で旅に出たイエスと歩みをともにしていた。
三つ目は、家を出たときから、マリアの気持ちは固まっていた。「この子は家に戻るこはないのだ」と。ハンナのことや祭司エリのもとにとどまって、主に仕えたサムエル(サムエル記上2,1-11)のことなどを思い巡らしていたに違いないのだ。実際、マリアの賛歌は、ハンナの祈りを引用したものだといわれる。
神学校時代のレポートみたいになったが、マリアは十字架の下にはいなかったというのが結論。それにしても、生みの親であれば、旅先で子供が無残な死を遂げたということを聞くつらさはいかばかりか。自分の目で最後を看取ることさえも捧げたつらいつらい「なれかし」。よりつらい選びをしたマリア。熱狂的な支持者たちと決定的に違う点だ。で、不条理の死を甘んじ受けた我が子の一番近くにいたのは、やはり、母マリアだった。そういう意味では、つまり、イエスと受難をともにしたという意味では、マリアは十字架の下にいたといえるのだが。
今日は、「マリアの受難」を黙想したかった。