マルコによる女性賛歌
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最終変更日時
2006年03月29日 11時50分
マルコによる福音16.1-8
安息日が終わると、マグダラのマリア、ヤコブの母マリア、サロメは、イエスに油を塗りに行くために香料を買った。そして、週の初めの朝ごく早く、日が出るとすぐ墓に行った。彼女たちは、「誰が墓の入り口からあの石を転がしてくれるでしょうか」と話し合っていた。ところが、目を上げてみると、石はすでに脇へ転がしてあった。石は非常に大きかったのである。墓の中に入ると、白い長い衣を着た若者が右手に座っているのが見えたので、婦人たちはひどく驚いた。若者は言った。「驚くことはない。あなた方は十字架につけられたナザレのイエスを探しているが、あの方は復活なさって、ここにはおられない。御覧なさい。お納めした場所である。さあ、行って、弟子たちとペトロに告げなさい。『あの方は、あなた方より先にガリラヤに行かれる。かねて言われたとおり、そこでお目にかかれる』と。婦人たちは墓を出て逃げ去った。震え上がり、正気を失っていた。そして、誰にも何も言わなかった。恐ろしかったからである。
一体全体、男どもはどうしたというのか。いや、そういうマルコ自身、「あ、こいつはイエスと仲間たちに晩餐の会場を提供したやつのせがれだゾ!」とか何とか叫びながら「人々が捕らえようとすると、(身にまとっていた)亜麻布を捨てて裸で逃げてしまった」(マルコ14,51)のだった。マルコは弟子の一人ではなかったとしても、意気地なしの自分を恥じながらこころあたりのことを記したに違いない。
弟子たちはどうかといえば、「ペトロは呪いの言葉さえ口にしながら『あなた方の言っているそんな人は知らない』と誓い始めた」(マルコ14,71)とマルコは言う。自分は逃げただけだったが、あのペトロは、大恩師イエスを呪ったのだと、男のふがいなさを強調しているように見受けられる。
マルコはペトロの弟子となり、彼の通訳を務めたといわれる。二人は、宣教活動のまにまに、「あの時の事」を思い出しては語り合ったに違いない。そして、心に深く刻まれた悔恨の傷の痛みをこらえながら、倍の熱意を持って宣教活動に奮起することを誓い合ったに違いない。そして、二人の会話はいつも、感に堪えたように、女性賛歌で終わるのだった。「それにしても、あの婦人たちは強かったなあ。」
息詰るような一連の受難物語の中で、確かに婦人たちの行動は生き生きとして頼もしい。イエスの臨終を看取り、埋葬に立会い、三日目の墓参も忘れない。今日の教会も、「婦人たち」でもっていると言っても過言ではない。復活祭、クリスマス、バザーはもちろん主日のミサ参加も断然女性が多い。自由の国アメリカで、女性学が盛んになり、「男性優位の教会で女性の地位向上を!」と叫ぶ女性たちにうなづきながら拍手を送っているのはマルコかもしれない。
復活徹夜の女性賛歌。