生きてさえいてくれたら!
作成者 admin
—
最終変更日時
2006年03月29日 11時50分
ヨハネによる福音20.19-23
その日、すなわち週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけていた。そこへ、イエスが来て真中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。そう言って、手とわき腹とをお見せになった。弟子たちは主を見て喜んだ。
イエスは重ねて言われた。「あなたがたに平和があるように。父が私をお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす。」
そう言ってから、彼らに息を吹きかけて言われた。「聖霊を受けなさい。誰の罪でも、あなたがたが赦せば、その罪は赦される。誰の罪でもあなたがたが赦さなければ、赦されないまま残る。」
できるだけ事柄の実態に迫ってみよう。
「その日」というのは、マグダラのマリアが、弟子たちに、「私は主を見ました」と告げた日ということなので、復活の当日。それで、その日の夕方になるまで、鍵をかけ、家の中に引きこもっていた弟子たち。マグダラのマリアの知らせをめぐって、声を潜めながら、真偽の程を論じていたのか。そうかもしれない。
、自分たちの目で確かめるまでは確信が持てなかったに違いない。第一、「復活した」と言われてもすぐに納得できない大きな理由があった。心の整理がついていなかったのだ。
最後の晩餐でのイエスの不可解な言葉やユダの不審な行動。悪夢のようなあの金曜日の出来事。あれよあれよという間に思わぬ事態の激変。逮捕、殺気立つ民衆によって混乱した裁判、そして死の判決。十字架での無残な師の処刑。事態を飲み込めないまま師を見捨てて逃げ出したふがいない自分たち。
ガリラヤの田舎出の無学な弟子たちに、冷静に状況を判断し、整理し、見通しを立てる力はなかったに違いない。ただ、あれほど可愛がってもらった師を裏切り、恩をあだで返すようなことをしたことへの自責の念は、彼らを言い知れぬ絶望のふちに立たせていた。ことに、ペトロは、髪をかきむしり、こぶしでテーブルをたたいた。「いくら恐ろしかったとはいえ、ワシは、先生を呪ってまで知らないといったのだ。あ~!」
他の弟子たちにしても、同じであった。先生を守れなかった自分たちの無力さに打ちのめされ、悔しさを噛みしめるしかなかった。
そんな彼らが抱いた一縷(いちる)の望みこそ、「主を見た」と言うマグダラのマリアの言葉だった。「ホントにそうだといいんだが…。」しかし、師を見捨てた罪の大きさに、心の暗い霧は容易に晴れるものではなかった。
そんな弟子たちの真中に主が立たれた。生々しい手足の傷跡。えぐられた胸。まぎれもないあの十字架の先生だ。「ホントだ!ホントだ!先生だ!先生だ!」
「弟子たちは、主を見て喜んだ。」歓喜する弟子たちを静めるかのように、「主は重ねて言われた。『あなた方に平和があるように。』…。」ガリラヤ湖畔で初めて出会ったときと同じあの優しい主のまなざし。そして、「あなた方を遣わす」、「聖霊を受けなさい」、「あなたがたが赦せば赦される」。何事もなかったかのように淡々と語られる師の言葉に弟子たちの心が震えた。彼らを金縛りにしていた暗い悪夢が、そして、深い自責の念さえも、打ち払われ、湧き上がる言い知れぬ喜びに夕暮れの薄暗い部屋が輝いた。
一足遅れの弟子たちの復活の喜び。弟子たちの聖霊降臨。イエスとのやり直し。弟子たち再生の瞬間。
余談だが、ヨハネは、この個所を記したとき、創世記二章の人の創造のことを思いながら筆を進めたと言われる。「主なる神は、土の塵で人を形作り、その鼻に命の息を吹き入れられた」(創世記2,7)。絶望のふちに立たされた弟子たちに「息を吹きかけて言われた」(ヨハネ20,22)。命の木の実を食べて神を裏切った人を「主なる神は彼をエデンの園から追い出し」た(創世記3,23)。しかし、神は、人を見離さずに見守りつづけ、導きつづける。これが、全聖書を流れる根本信仰。ともあれ、イエスは、裏切った弟子たちを追い出さない。むしろ、派遣する。
裏切り、見捨てたにもかかわらず、主から追い出されなかった証人として。
無視しても、拒否しても、たとえ呪ったとしても主はあなたを不幸にしないことの証人として。
あのときは、「何とか先生が生きていてくれたら…」と思ったりもしたものだが、「何とか絶望しないでしっかり生きていてくれたら」と祈っていたのは、実は、先生のほうだったんだということの証人として。
何事もなかったかのように、どんな時でも、いつも共に歩いてくれる主がいてくださることの証人として。
この一つ一つが弟子たちが、「赦された」と実感したことの中身。復活を祝ったということは、この中身をもっていく任務を主から受けたということではないのか。
というのが、ヨハネが言いたかったことではなかったのか。