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金持ちをいびるイエスの眼差しは…

作成者 admin最終変更日時 2006年03月29日 11時50分

今週の聖書

マルコによる福音マルコ10.17-30

イエスが旅に出ようとされると、ある人が走りよって、ひざまずいて尋ねた。「善い先生、永遠の命を受け継ぐには、何をすればよいでしょうか。」イエスは言われた。「なぜ、私を『善い』というのか。神お一人のほかに善い者は誰もいない。『殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証するな、奪い取るな、父母を敬え』という掟をあなたは知っているはずだ。」すると彼は、「先生、そういうことはみな、子供のときから守ってきました」と言った。イエスは彼を見つめ、慈しんで言われた。「あなたに欠けているものが一つある。行って、持っているものを売り払い、貧しい人に施しなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、私に従いなさい。」その人は、この言葉に気を落とし、悲しみながら立ち去った。沢山の財産を持っていたからである。(略)
「財産のある者が神の国に入るのはなんと難しいことか。」(略)「神の国に入るのはなんと難しいことか。金持ちが神の国に入るよりも、ラクダが針の穴を通るほうがまだ易しい。」(略)

今週のポイント「善い先生!…」

「気安く、善いなどと呼ぶな。それより、財産を売り払って貧しい人に施せ。」

軽々しくイエスに口を利いたばかりに、とんでもないしっぺ返しにあった金持ち。それにしても、この、顔面を捉えたいきなりのパンチは一体何なのだ。その日の気分で軽口(かるくち)をたたく悪い癖の自分に半分腹を立てながら、応えられない自分にうなだれるだけの金持ち。やがて、力なく立ち上がると肩を落としてそのままきびすを返した。

そんな金持ちを呼び止め、ていねいに解き明かそうともしない。むしろ、これ見よがしに、「ラクダが針の穴を通るほうがまだ易しい」と茶化すイエス。金持ちの弱味?につけこんでいびり倒して喜ぶ。イエスの側で一部始終を見つめていた僕は、たまらずにイエスを睨みつけた。そして、金持ちの背中に向かって叫んだ。

「金持ちさんよ。がっかりすることなんかないゾ。なにもアンタだけが出来ないんじゃない。アンナ無茶な要求、誰だって出来るわけがない。彼は、自分が貧乏の出だからアンタに少しひがんでいるだけなんだよ。気にすることはないさ。」

振り向いた金持ちの自嘲的な、少しはにかんだような弱々しい笑いに驚いた。「これでいいんだよ。」

彼は、これほどまでに妥協を赦さない厳しさで、自分の前に立ちはだかった人を知らなかった。考えてみると貧しい人のことなどこれっぽちも心にかけたことなどないことを認めざるを得なかった。そして、なぜか、そんな自分が情けなかった。今まで抱いたことのない不思議な感情だった。「貧しい人に施せ。」イエスの言葉が鋭く突き刺さって痛かった。だが、彼は、イエスの視線を避けるように去った。

僕は思わずイエスを振り返って見た。そして、彼の後を追うまなざしの優しさにはっとした。いつかも見た同じ眼差しだったからだ。

荒削りの信仰を容赦なくたたいた司祭の苦言。劣等感の暗い淵に立たせたあの青年の厳しい一言。司祭としての誇りを打ち砕いた信者たちの無遠慮な批判。正義の味方、若者の味方気取りの僕に包囲網をかけて孤立させ、裏切り者に仕立てた体制の力。数え上げたらきりがない。

あの時は、悔しさや怒りや失望やらで取り乱していたので見えなかったが、僕には、今、はっきりと見える。「売り払うと楽になるよ。」優しく促すイエスの眼差しが。実は、この眼差しをいつも感じるので僕の歩みは軽いことに気づく。

突然だが、これがAB型霊性。あの金持ちはきっとA型だったに違いない。そして、マルコは「…彼を見つめ、慈しんで言われた」イエスの眼差しと出会った人だった。AB型?


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