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ルカの信仰と聖家族

作成者 admin最終変更日時 2006年03月29日 11時50分

044 2000.12.31記

ルカによる福音2,41-52

今週の聖書

イエスの両親は、過ぎ越し祭には、毎年、エルサレムへ旅をした。イエスが12歳になった時も、両親は祭りの慣習に従って都に上った。祭りの期間が終わって帰路に着いた時、少年イエスはエルサレムに残っておられたが、両親はそれに気付かなかった。イエスが道連れの中にいるものと思い、一日分の道のりをいってしまい、それから、親類や知人の間を探し回ったが、見つからなかったので、探しながらエルサレムに引き返した。三日の後、イエスが神殿の境内で、学者たちの真ん中に座り、話を聞いたり、質問したりしておられるのを見つけた。聞いている人は皆、イエスの賢い受け答えに驚いていた。両親はイエスを見て驚き、母が言った。「なぜこんなことをしてくれたのです。御覧なさい。お父さんも私も心配して探していたのです。」すると、イエスは言われた。「どうして私を探したのですか。私が、自分の父の家にいるのは当たり前だということを知らなかったのですか。」しかし、両親にはイエスの言葉の意味がわからなかった。それから、イエスは一緒に下っていき、ナザレに帰り、両親に仕えてお暮らしになった。母は、これらのことを全て心に納めていた。イエスは知恵が増し、背丈も伸び、神と人とに愛された。

今週のポイント「携帯があればこんなことにはならなかったのに。」昨年のことになるが、携帯を持たない妹と、新宿で合うことになり、指定の場所に行っても見つからず、とうとう会えなかった。後ほどの電話で、一時間を無駄にしたことを責めた、悲話?が蘇ったのだが…。

祭りの期間が終わり、帰る段になってイエスがいない。さあ大変!マリア様とヨセフ様は必死になって探した。「どこにもいない。ああ、困った困った。」オロオロするヨセフ様。「大丈夫よ。従兄弟のヨハネや友達と先に帰っちゃったのよ。もう十二歳だもの。あたしたちも帰りましょう。」とか何とか、肝っ玉母さんに促されて帰路に着くことになったものの…。連れの中にもいなかったとは!

それにしても、「…だろう」ぐらいで帰路に着くということからして、のん気というか大雑把というか…。もっとも、万策尽きての止むにやまれぬ決断だったとは思うのだが…。一日無駄にして、引き返すの一日、探して回るのに三日。合計五日を無駄にしたことになる。

足を棒にしてやっと果たした五日目の再会。なのに、何とも拍子抜けのするイエスの態度。さすがの肝っ玉母さんが切れた。「なんてことをしてくれたの!全く!」「どうしてボクを探したりしたの?」切れた母さん絶句!

ところで、話は変わるが、ルカほど神殿にこだわった人はいない。福音書の書き出しの舞台は神殿。つまり、祭司ザカリアへの洗礼者ヨハネ誕生の告知。イエスの神殿奉献。そして、この切れた話。いずれもれもルカだけの記事。神殿で暴れたヤクザ的イエスの話は、三福音書共通。そして、最後の一行はやはり神殿で締めくくられる。弟子たちは、天に上がるイエスを見送ったあと、「エルサレムに帰り、絶えず神殿の境内にいて、神をほめたたえていた。」(24,52)

話を少し戻す。マリアとヨセフが無駄にしたエルサレムでの三日間。初めから、なぜ神殿に行かなかったのか。「親類や知人の間」でイエスはみつからなかった。神殿で見つかった。ルカにとって、親類知人は神殿と対極をなす世界。知識と常識と道理をはぐくむ世界。神殿は本来、神と出会う恵の世界。ルカの神殿への思い入れは純粋で深い。素朴なルカの信仰。

「早く神殿に行けばこんなことにはならなかったのに。」マリアに取材したルカの感想ではなかったのか。「どうして、父の家、神殿ではなくて、親類や知人の家で僕を探したんですか?」これもルカのフィクション?だとすれば、マセタイエスの口返答も赦せる。

で、ルカは悟った。聖家族は、初めから聖家族ではなかった。沢山の無駄をしながら、恵の世界に開かれていったのだ。「聖なる」とは、神のものとしての生き方を全うすること。

「聖家族(の模範)にならい…」今日のミサの始めと終わりの祈り。何をならうのか。神のものとしての生き方を。つまり、神からのあらゆるメニューを、何とか口に運ぶということ。切れたりしながらも、聖家族の一員となれる。何も遠慮することはない。

21世紀は目前。ルカの素朴な信仰とともに今世紀を締めくくれることを喜びつつ、また、新世紀も、各(核)ご家族が、神殿(聖堂)のイエスとも親交を深めて下さることを祈念しつつ、イエスからの祝福と愛で一杯満たされるよう心から祈ります。良いお年を。


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