現在の場所: ホーム Binder 日曜日のはなし 2003年 ボクは神様の手作り
ナビゲーション
最近のエントリ
ペトロパウロ休日 2014年06月29日
有難うシスターたち 2014年06月27日
大分教区司祭研修会 2014年06月26日
32年ぶり班制度 2014年06月24日
梅雨の晴れ間に 2014年06月19日
 
編集操作

ボクは神様の手作り

作成者 admin最終変更日時 2006年03月30日 12時42分

今週の聖書

使徒パウロのエフェソの教会への手紙2,4-10

2003.3.31記

皆さん、憐れみ豊かな神は、私たちをこの上なく愛してくださり、その愛によって、罪のために死んでいた私たちをキリストと共に生かし、ーーあなた方が救われたのは恵みによるのですーーキリスト・イエスによって共に復活させ、共に天の王座につかせて下さしました。こうして神は、キリスト・イエスにおいて私たちにお示しになった慈しみにより、その限りなく豊かな恵みを来たるべき世に現そうとされたのです。事実、あなた方は、恵みにより、信仰によって救われました。このことは、自らの力によるのではなく、神の賜です。行いによるのではありません。それは、誰も誇ることがないためなのです。なぜなら、私たちは神に造られた者であり、しかも、神が前もって準備してくださった良い業のために、キリスト・イエスにおいて造られたからです。私たちは、その良い業を行って歩むのです。

今週のポイント子供の頃、家族を持たない叔父が同居していて、家には父親が二人いるようで楽しかった。叔父は、眼科医で弟思い。病弱な弟の父の面倒を見て、十年がかかりで大病から救い、結婚の世話をし、そして、僕ら7人が生まれた。全員の名付け親は叔父。叔父の人生は、いわば、僕ら7人のためにあったようなものだった。叔父は、7人全員にあだ名を付け、叱るときは、あだ名で呼んだ。ボクはユンキィン(四斤)。奄美の黒糖は、子供の頃、小さな長方形の枠に入れられて小売りされていた。ボクの顔の形状が、重さ四斤(1斤=600g)の砂糖に似ているからというのがその理由だった。ボクにとって、ユンキィンは砂糖だけでなく下駄を連想させ、「ユンキィン!」は「下駄!」と同じ響きをもった。

高校生になっても、世の中でボクほどみっともない男はいないと思っていた。バスに乗るのが苦痛だった。狭いところで顔と顔を合わせるのがいやだった。高校卒業後、髪を伸ばし、おしゃれをするようになった。親戚のおばさんが、「なかなか男前だね」と言った。嬉しかったが、手放しで喜べなかった。

この春、久しぶりに黙想会に招かれた。そこでも、下駄の話しをした。帰ってみると、早速メールが入っていた。いろいろ気づいた旨のことが書いてあった中で、「ハンサム」の言葉があった。嬉しかった。が、それでも、通りを歩いていて、ショウウインドウに写る自分を未だに直視できないでいる。もはや、高校時代のようにみっともない下駄状の顔を嘆くことはないのだが…。

「私たちは神に造られた者」と言われても、「どうせなら、もっとましに造ってもらいたかった」不満は残った。ある時、手元の英語の聖書に「私たちは神のhandiwork」を発見したときは歓喜した。まさに福音だった。「手作り。ボクは神様の手作り!」何度も口にした。少なくとも、ボクは、大量生産される規格品の一つではなく、ましてや、規格外のハズレではない。神様の手作りというのなら、下駄でも許せるように思った。「手作りの味を見よ!」そう呼ばわるほどの勇気はないが、手作りの素朴さ、いびつさ、そして不揃い。まさに世界に一つしかない貴重品。いや、貴重人。いろんなこだわりから解放されていくようで嬉しかった。

強烈な個性に出会って、たじろぎ、屈辱感さえも抱くときに、何とか持ちこたえられる秘訣があるとすれば、「あの強烈さも、手作りなら仕方ないワナ~。」「許すもゆるさんも、認めるも認めないも、神様の作品ならハナシのしようもないワナ~。」

高校時代に分かっていたらナ~。と、思ったりもするが、「今が、ソノ時。」


Powered by Plone CMS, the Open Source Content Management System

このサイトは次の標準に準拠しています: