グノーシス信者?
使徒ヨハネの手紙1ヨハネ2,1-5
私の子たちよ、これらのことを書くのは、あなた方が罪を犯さないようになるためです。たとえ罪を犯しても、おん父のもとに弁護者、正しい方、イエス・キリストがおられます。この方こそ、私たちの罪、いや、私たちの罪ばかりでなく、全世界の罪を償ういけにえです。私たちは神の掟を守るなら、それによって神を知っていることが分かります。「神を知っている」と言いながら、神の掟を守らない者は、偽り者で、その人のうちには真理はありません。しかし、神の言葉を守るなら、まことにその人のうちには神の愛が実現しています。
ヨハネがこの手紙を書いたころ、イエスについての誤った教説が唱えられていた。イエスの受肉、神が人となられたことを否定すもので、グノーシス主義と呼ばれる異端。グノーシスとはギリシャ語で知識。彼らは、福音の知的理解と信者としての生活態度とは別であると主張。
「神を知っている」と言いながら、神の掟を守らない者は、偽り者で、その人のうちには真理はありません。
ヨハネの警告は、こうした状況を憂えてのものだという。人ごとではない感じだ。神の掟、神の愛の掟と来れば、愛とは無縁の自分を沢山知っているだけにドキン。
こうして書いている今し方、土曜日の昼下がり。外では暇をもてあましてた近所の悪童どもが我が物顔に遊具を占拠したり、サッカーというより過激なボール蹴りに興じていて、ボクはいつものようにハラハラ。休みの日の”侵入禁止”を厳しく宣言する口実が見つからないまま二年。そして顔見知りに。相手は増長し、ボクの不快感は増していった。
はたして…。ドーン!すんでの事で窓ガラスが砕けるところだった。チャンス到来!この時とばかりにボクは立ち上がった。「ここは幼稚園の子供のため。乱暴な小学生はダメッ!もうダメ~ッ!」鬼と化した園長先生の遅すぎた宣言に子供たちは口あんぐり。パソコンに戻り、あっけない勝利に満足したものの、子供たちが消えた庭に何とも言いようのない空しさを感じた。
幼稚園を守るために。けじめのために。教育のために。目を転ずれば、信者の教育のために、愛とも使命感とも立場上とも権威ともつかない人を困惑させるだけの動機の横行。教会当局にはびこるグノーシス。人ごとではない。