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そこのけ、そこのけ三位一体の神が通る

作成者 admin最終変更日時 2006年03月30日 14時33分

今週の聖書

使徒パウロのローマの教会への手紙8,14-17 

2003.6.15記

皆さん、神の霊によって導かれるものは皆、神の子なのです。あなたがたは、人を奴隷として再び恐れに陥れる霊ではなく、神の子とする霊を受けたのです。この霊によって私たちは、「アッバ、父よ」と呼ぶのです。この霊こそ、私たちが神の子供であることを、私たちの霊と一緒になって証してくださいます。もし、子供であれば、相続人でもあります。神の相続人、しかもキリストと共同の相続人です。キリストと共に苦しむなら、共にその栄光をも受けるからです。

今週のポイント「今日が父の日ですか?」ミサ前に、信徒に尋ねたら、「そうです」とニコニコしながら答えてくれた。少し意味ありげな笑いに感じられた。ミサ後の茶話会の前に、「父の日のビール」が届いた。意味ありげに笑った人からだった。何だか、請求した感じで少し恥ずかしかった。でも嬉しかったので夜のため早速冷やした。

一人一人を包む「天にましますおん親のご大切の心」をひたすら信じて信徒発見までの二百数十年。まず我が身を大切にし、迫害する者をも恨まず、憎まずひたすらおん親のご大切の心に委ね続けた七世代。そうして、迫害で命を落とした人4万。世界一の数だという。ミサもなく教会もなしに生き延びたキリシタンたち。黙想会の指導司祭はキリシタン研究家だった。

そう言えば、ボクの場合、父と子の気持ちが、スッといった時はいつだったろうかなあ。あの頃、ボクは小学校六年。7~8名の侍者(ミサ中司祭の手伝いをする少年。altar boy。志布志では祭壇少年隊と言う)会の会長。弟は四年生。アメリカ人の主任司祭が侍者を集めて労をねぎらった。そこまでは良かったが、学校の成績に言及し、そのことでもほめ始めた。ところが、弟の番になると、「イチバンワルイ。」弟は泣いて家に帰った。夕方、遊びから帰ると、司祭が父と話していた。昼間のことを詫びている風だった。「神父様、その通りです。でも、この子は勉強は良くないですが、生活態度(だったか?)はみんな5です。」ニコニコしながら弟を擁護していた。あの時ほど父親を尊敬したことはなかった。

数ヶ月に及ぶ入院生活を終えて我が家に帰った我らが祭壇少年隊隊長ジョナサン。(おん)親の(ご)大切の心に包まれて表情も穏やかになっていて嬉しかった。

たとえ深読みされても?気持ちが通じ、苦難にあってもねたまず恨まずご大切の心にすがり、司祭を立て、子に寄り添う親となり、そして親心の中で伸び伸びと子が育つ。あの時、あの時代、三位一体の神がみんなの心に寄り添い、癒し、一つに結びながら歩んでくださった。おかげで、無数の「神の相続人、キリストとの共同相続人」。

三位一体論が一つにならない政治の世界を笑えない自分の現実。そんな政治家たちにも自分にも、「そこのけ、そこのけ…。」


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