あなたは保証されている!
使徒パウロのエフェソの教会への手紙4,30-5,2
皆さん、神の霊を悲しませてはいけません。あなた方は、聖霊により、贖いの日に対して保証されているのです。無慈悲、憤り、怒り、わめき、そしりなど全てを、一切の悪意と一緒に捨てなさい。互いに親切にし、憐れみの心で接し、神がキリストによってあなた方を赦してくださったように、赦し合いなさい。あなた方は神に愛されている子供ですから、神に倣う者となりなさい。キリストが私たちを愛して、ご自分を香りの良い供え物、つまり、いけにえとして私たちのために神に捧げてくださったように、あなた方も愛によって歩みなさい。
大人たちへ、の部屋で紹介した本、The Bondage Breaker の著者は言う。福音書は、まだ、悪魔が、イエスを荒野で誘惑したり、ユダヤペトロの裏切りを成功させたりと現役?で活躍している時代で、パウロやその他の弟子たちが活躍する時代は、悪魔がすでに屈服させられた時代。したがって、私たちが、いろいろな囚われの状態、つまり、自分は価値がない、自分はダメなどの自分に対する否定的な全ての見方やアル中、食障害などなど、から解き放たれるためには福音書よりも、パウロをはじめ各書簡をよく味わう必要がある。自由になるための、戦いは、キリストの死と復活によって屈服させられた悪魔にとっては、所詮、勝ち目のない戦いで、私たちキリスト信者にとって勝利は保証されている。
著者のこの大前提には、イエス様には少し申し訳ない感じがしないでもないが、妙に納得させられた。で、この「贖いの日に対して保証されているのです」という断言もこの流れと言うことになるのだが…。そうは言ってもね~。毎日、こんなにガタガタ続きではね~。保証されている、と言われても、何となく無責任な発言というか、気休めのようにも響くのよね~。
あ、それそれ、それが、悪魔のだましの手なんです。あなたが、エレミヤのように気を取り直して(列王記上19,4-8)、何とか神の山に登ろうとすると、「アンタには無理だと思うよ…。考えても見ろよ。保証されているなんて、何の保証?足の骨でも折るって保証?イ、ヒ、ヒ、ヒ…。このところ忙しくて運動不足なんだろう。そんななまった体で、あの山は無理じゃないの。背伸びしない方が無難じゃないの~。ダイイチ、アンタの性格からして…。」とか何とか、行く手を阻もうとする、悪魔軍団のささやきの攻勢。その手に乗るんじゃない。所詮、奴らは、勝ち目のない敗北軍団なんだから。すきを見せなければ奴らはそれ以上の力はないんだから。とにかく、恐れてはいけない。前進を阻む否定的な声。それは悪魔の囁き、だましの手。
で、どうすればいいんですか?
「私は、聖霊により、贖いの日に対して保証されている!」と大声で言えばいいんです。なるほど、著者の揺るぎない勝利への確信と力強い信仰宣言。この気迫なら悪魔も退散するだろうな。なるほど、弱気はスキ。だから禁物、か…。
影響されやすいと言われればそれまでだが、何となくですね、「保証されている!」という聞き流しそうな言葉が、著者の声援を受けると、「そうだな~。安心していいんだな」という気になったのです。
??が残るあなた。自由闊達な人生を送りたいと思うあなた。人間関係で疲れているあなた。何事にも悲観的な傾向のあなた。とにかく、否定的な感情に支配されているあなた。まして、希望をなくしかけているあなた。書簡を読みまくっては如何ですかね。