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ボクの「それから…」

作成者 admin最終変更日時 2006年03月30日 15時53分

今週の聖書

マルコによる福音10,17-23

 2003.10.13記

 イエスが旅に出ようとされると、ある人が走り寄って、跪いて尋ねた。「良い先生、永遠の命を受け継ぐには、何をすればよいでしょうか。」イエスは言われた。「なぜ私を『良い』と言うのか。神お一人の他に良い者は誰もいない。『殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証するな、奪い取るな、父母を敬え』という掟をあなたは知っているはずだ。」すると彼は、「先生、そう言うことはみな、子供の時から守ってきました」と言った。イエスは彼を見つめて、慈しんで言われた。「あなたに欠けているものが一つある。行って持っているものを売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから私に従いなさい。」その人はこのことばに気を落とし、悲しみながら立ち去った。沢山の財産を持っていたからである。
 イエスは弟子たちを見回して言われた。「財産のある者が神の国にはいるのは何と難しいことか。」

今週のポイント「行って持っているものを売り払い、貧しい人々に施しなさい。」イエスに質問した人は、驚きながらイエスに尋ねた。「先生、では、他に方法はないとおっしゃるのですか?売り払えと言われても、家族も養わないといけません。」反論する金持ちにイエスは丁寧に答えた。「しかしですね、…」金持ちはなかなか受け入れようとはしなかった。相手を納得させることが出来ないと分かった時、イエスは溜息をつきながら言われた。「財産のある者が神の国にはいるのは何と難しいことか。」

 聖書の本文をねつ造したくなる箇所だ。いずれにしても、イエスの要求は乱暴な感じがする。案の定、と言うか、弟子たちは先生のこの挑発的お言葉に乗せられて不安とも不満とも知れない質問をすることになる。深入りしないため省略したが…。

 「それから私に従いなさい。」売り払う、人にあげる、手放す、身軽になり(外観的行為?)、それから、イエスの気持ちを汲みながら生きようとする内観的行為に至って初めて「イエスに従う」ことが実現する。という、青写真はあるのだが…。自分のことを言えば、「それから…」が問題。
 主任さんは?
 修園旅行の件で駅まで行ってます。
 何時頃帰る?
 6時半頃だと思います。
 あ、その頃は風呂に入っているから、明日話すから、帰ってき   ても連絡しないように言ってね。
 ハイ、分かりました。
幼稚園が終わり、身軽になったら、誰にも邪魔されたくない。そんなボクを妨げてはならないと、当然のように要求し、周りもそれを認めてくれる。一見いい関係のようだが、一皮むけば、神の国とはほど遠い。風呂から上がり、「サテ、と…」コップを手にしたら、玄関のチャイム。「マッタク!」言いつけを守らなかったしっかり者の主任。イライラしながらの対応。…少し心が痛んだ。

 たかがチャイムされどチャイム。ボクの「それから…」の前に立ちはだかり、あざ笑うかのように、試しにかかる不敵な音色。イエスのチャレンジは優しく真綿のよう。しかし、それが命取りになるほどの大それたことか。タカをくくっているところに、ボクの神の国のもろさがある。
 「分かっているんならそうしようね。」いつか子供に言ったセリフを、頭を掻き掻き、少し恥じらいながら、自分に返して、イエス様ゴメンね。ボクの「それから…」は、いまだ、外観の域を出ない。


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