夢の共有者らしく…
マルコによる福音13・24-32
2003.11.15記
…太陽は暗くなり、月は光を放たず、星は空から落ち、天体は揺り動かされる。…イチジクの木から教えを学びなさい。枝が柔らかくなり、葉が伸びると、夏の近いことが分かる。それと同じように、あなた方は、これらのことが起こるのを見たら、人の子が戸口に近づいていると悟りなさい。はっきり言っておく。これらのことがみな起こるまでは、この時代は決して滅びない。天地は滅びるが、私の言葉は決して滅びない。その日、その時は誰も知らない。天使たちも子も知らない。父だけがご存知である。
今の時期、ボクはどんなサインも見逃さない。いや、どんな肯定的サインも、と言った方がいい。夏に、辛い思いをさせたお母さんたちの顔が、この頃、明るくなってきた。新年度の園児募集に好結果を招きそう…。心密かに「ウフッ…」の毎日だ。
そんなボクに水を差すような先生たちの暗い顔。「園長先生、よその幼稚園の園児募集の新聞の折り込み…」「ああ、見たよ。よそさんがうちの分まで出してくれて助かったよ。」「え?」「あのチラシを見た人たちは、『ああ、入園手続きの時期か、じゃあうちも…』ということになるのよ。」「でも、アレはあちらの名前だけで…」「かまうもんか。『どっちにしようか』となって、『カトリックにしよう』ということになるのよ。」「さすが!園長先生らしい発想だわ。」あきれたのか、あきらめたのか、「深刻な相談」はものの数分で決着。
ところで、イエスを取り巻く状況はどうだったのかと言えば、とても楽観視できるものではなかった。状況の深刻さはイエスご自身が一番よく分かっていた。エルサレム滅亡の預言に始まるこの13章は、ユダの裏切り、イエスの逮捕と続く次章を予測させるには十分な重苦しさに満ちている。そんな現実の中で、イエスは、自分に託された御父の夢を共有しようとしない人々に向かって、諦めることなく呼びかけ続ける。これまで語ってきたことが、いかに真実であるか、いかに信ずるに値するものであるかを必死に訴えているのだ。「天地は滅びるが、私の言葉は決して滅びない。」もう、理屈ではない。体を張ったイエスの叫び。「ワシを信じてくれ~!」
状況の厳しさに、立ち往生しそうな時、好転しない状況にうなだれ、悲観的になる時、イエスのこの叫びを思い出すなら、あなたは滅びることはない。そして、そんな時、一番欲しいのが、前向きな気持ちを喚起してくれる力に満ちた言葉であることを知るに違いない。そうして、戸口に近づくイエスを実感するに違いない。そうして、あなたは、顔を上げ、信者の証を立てていくのだ。イエスの夢の共有者として…。
あなたの一週間が、前向きで平和な心で満たされるように。