ダニエルが信じた不滅の統治とは…
ダニエルの預言7・13-14
夜の幻をなお見ていると、見よ、「人の子」のような者が天の雲に乗り、「日の老いたる者」の前に来て、そのもとに進み、権威、威光、王権を受けた。諸国、諸族、諸言語の民は皆、彼に仕え、彼の支配はとこしえに続き、その統治は滅びることがない。
本書は、BC200年頃、迫害下にあって書かれたものらしいが、主人公ダニエルは、バビロンに拉致された一人ということになっている。つまり、ダニエル書の舞台設定は、BC587ー538年のバビロン捕囚時代。バビロンを生き抜いた信仰の先達者たちを偲びながら、迫害に苦しむ同胞を慰め励まそうとしたものだという。
そうすると、「人の子」は神の民のことで、「日の老いたる者」は神のことらしいということが分かる。
そして、今の私たちにとって、「人の子」はキリストのことと言いたくなる。
こうしたことを前置きにして、改めて短い本文を読むと…。
国を失い、バビロンという異教徒の国に強制移住を余儀なくされたほどの惨めな体験。まさに弱肉強食。民の存在理由をも打ち砕く歴史のむごさ。そんな中を生き延び、神の民の生活を再度立ち上げたかと思うと、今度は西の異教徒ギリシャの侵略。ここまでがダニエル書の世界。その後、更に、ローマの支配と続くことになるのだが…。
これでもか、これでもかと打ちのめされながら、それでも、立ち上がり、「その統治は滅びることがない」と言い続ける。そんな、伝統を持つ民がいる。「なるほど」とイスラエルを連想するかも知れないが、やられたら、その数倍やり返す、報復の民と化したイスラエルではない。イスラエルはイスラエルでも、新しい民イスラエル、キリスト者。
そのキリスト者も、「その統治は滅びることはない」と胸を張って言えるほどの自信があるわけではない。むしろ、新しい民イスラエルの集う教会はますます痩せ細っていくようで、当局側も、将来を案じたりしているのが現実だ。
そんな歴史の流れの中で、新しい宣教戦略を練り上げることはできないとしても、せめて、新しいイスラエルとしての心を貫きたいと思う。たとえ日本の国がなくなろうが、志布志に住めなくなろうが、とにかくどんな一大事が起ころうと、何とかキリスト者らしい言葉を口にしたい。キリスト者なら誰もが同意し、キリスト者らしい信義を尽くすような言葉。「あなたが称えられますように。」
あらゆる願いの祈りのあとで、決して忘れてならない言葉。「…、とにかく、どんな結果になろうとも、あなたが称えられますように。」
毎日起き抜けに、口にしたい言葉。「…、いずれにしても、今日も一日、あなたが称えられますように。」
これこそ、暗雲たれ込める現実の中で、不滅の統治を信じたダニエルの伝統を受け継ぐ者の心意気。
今日は、王であるキリストの栄えある日。あなたの忠誠心を更新する日。声を大にして、「あなたが称えられますように!」