戦いの場所は心の中さ…
エレミヤの預言33,14-16
2003.12.1記
見よ、私が、イスラエルの家とユダの家に恵みの約束を果たす日が来る、と主は言われる。その日、その時、私はダビデのために正義の若枝を生え出でさせる。彼は公平と正義をもってこの国を治める。その日には、ユダは救われ、エルサレムは安らかに人の住まう都となる。その名は、「主は我らの救い」と呼ばれるであろう。
子供たちが大好きなウルトラマン・コスモスの主題歌はメッセージに富んでいる。優しさ、正義、愛などといった言葉がちりばめられていて思わずうなってしまうほどだ。中でも、我が耳を疑ったのが、見出しのタイトル。気分が乗ると朝のバスで熱唱するひー君に教えて貰った。「戦いの場所は心の中さ…」まさにその通りだね!
思わず歓声を上げたものだ。
そして、昨日のの第一朗読を読んだ時、思わず叫んだものだ。「違うだろう!エルサレムに平和なんかない。テロの応酬だけでゃないか!」同時に、六年前、何度も足を運んだエルサレム旧市街の様子が鮮明に蘇った。そして、あっと気がついた。アラブ人の子供に小石を投げられ大きな「めっ!」をしたことはあっても、ごみごみとした迷路のような城壁の中は、いたって平和だった。イスラム教徒、、ユダヤ教徒、カトリックにプロテスタントと宗派の違う人々が仲良く住み分けていた。確かに、「エルサレムは安らかに人の住まう都」となっていたのだ。自爆テロは、もっぱら城壁の外の新市街だった。
違う人々の住み分け。内と外。何か象徴的だ。
偉大な戦士コスモスのように、自分自身の心の中に、優しさや愛や正義を実現しようとする戦いこそ真の勇者と憧れる。しかし、ボクの現実は、イラクそのもの。「それがナンボノモンヤー!」とばかりに、次から次へと難問が押し寄せ、恒久平和など望むべくもない。戦車に素手で立ち向かうような不安の中で、命からがら手にした休戦という一時的平和。ヤレヤレ。何とか、エルサレム旧市街の平和を勝ち取るべく心を落ち着けてみると、奥の手らしいのがひらめいたりして、思わずニンマリ。明日当たり試してみるか。
再び修羅場と化したボクの現実。それでも、今日は、子供たちからコスモスのエールを受けて、泣き笑いの一日。
…
コスモス 強くなれる It's all right
優しさから始まるパワー それが勇者
コスモス どんな時も 自分にだけは 決して負けない
ウルトラの誓い
ボクの待降節が始まった。