でこぼこ道が平らになった!
使徒パウロのフィリピの教会への手紙1,4-6,8-11
2003.12.4記
皆さん、私は、あなた方一同のために祈るたびに、いつも喜びを持って祈っています。それは、あなた方が最初の日から今日まで、福音にあずかっているからです。あなた方の中で、良い業を始められた方が、キリスト・イエスの日までに、その業を成し遂げてくださると、私は確信しています。私が、キリスト・イエスの愛の心で、あなた方一同のことをどれほど思っているかは、神が証してくださいます。私はこう祈ります。知る力と見抜く力とを身につけて、あなた方の愛がますます豊かになり、本当に重要なことを見分けられるように。そして、キリストの日に備えて、清い者、咎められるところのない者となり、イエス・キリストによって与えられる義の実をあふれるほどに受けて、神の栄光と誉れとを称えることが出来るように。
「ボクは、…ボクは、…エート、エート、そんなつもりで言ったのでは…」まるで、子供の頃、悪さをして親のせっかんを受けている時のように、口ごもり、言葉にならない言い訳をしているような…。
この年クッテ、娘みたいな職員の前で小さくなっている自分が情けなかった。長いベンカイと説得の後、一息いれて顔を上げたら、彼女はまるで母親の威厳で背筋を伸ばし、厳しい顔で無言。ダメダ、コリャ。またも、「エート、アノー…」
その甲斐あって?彼女はようやく口を開き、ボクを安心させるようなセリフを口にした。その一言が、ボクの心を軽くした。鉛のように重たく黒々と沈み込んだ澱(おり)のようなものが、スーッと引いていくのが実感できた。生気が戻り、ボクは、俄然、攻勢に転じた。
そして、中二日おいて迎えた二回目の今日。ボクは、彼女の「信者の心」に訴えた。こんこんと、ボクのもっとも得意とする神様の夢の話しを説いた。司祭と信者の関わりが功を奏し、彼女は、前回より、更に肯定的反応を示してくれた。溝は埋まったと感じた。
「あなた方の中で、良い業を始められた方が、キリスト・イエスの日までに、その業を成し遂げてくださると、私は確信しています。」
パウロのこの確信こそボクの憧れ。しかし、現実は、予期しない修羅場の到来で、憧れは萎え、シンジャに失望し、深く深く落ち込んでしまう。それでも、呻吟しながら挑み続けると、でこぼこ道が難なくスッと平らにされるこの快感がたまらない。このインガな人生に誰彼かまわず巻き込んでいくのがボク流と決め込みつつも、「今日もボクの心を整えてください。あの人の心も、この人の心も…。そして、あなたが称えられますように」とケナゲナ祈りを捧げるパウロになりきれないパウロ。
そんなボクにエールを送るかのように、昨日、要理の後で、あつよさんは子供四人との洗礼を、まきさんは二人の子供の受洗を申し出た。ボク、ガンバル!