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福音は分からなくてもいい

作成者 admin最終変更日時 2006年03月29日 12時45分

今週の聖書

ルカによる福音ルカ9,51-62

(略)
一行が道を進んでいくと、イエスに対して、「あなたがおいでになる所ならどこへでもしたがって参ります」と言う人がいた。イエスは言われた。「狐には穴があり、空の鳥には巣がある。だが、人の子には枕するところもない。」

そして別の人に、「私に従いなさい」と言われたが、その人は、「主よ、まず、父を葬りに行かせてください」と言った。イエスは言われた。「死んでいる者達に、自分の死者を葬らせなさい。あなたは行って、神の国を言い広めなさい。」

また、別の人も言った。「主よ、あなたに従います。しかし、まず家族にいとまごいに行かせてください。」イエスはその人に、「鋤に手をかけてから後ろを顧みる者は、神の国にふさわしくない」と言われた。

今週のポイント一行が進んでいる道はエルサレムへの道、つまり十字架への道。トゲに満ちた言葉の数々。さもありナン。だが、イエスほどの者が、気分に左右されてものを言っていいものか?

イエスの眼力を評価するとして、最初の人はあまりにも軽すぎる感じがした。別の人を良しとされて声をかけたものの、「ハイ」という素直な返事をくれない。思わずムカッとなって「死んでいる者達に死者を葬らせてやれ」とのむごいかえり打ち。火に油を注ぐかのようなもう一人の言葉に、「もう、勝手にしやがれ」とほとんどやけっぱち。

イエスよあなたの本心が知りたい。「おまえごときにワシの気持ちが分かってたまるか!」まさか、そんな風にはおっしゃるまいが…。それにしても、ルカによる「福音」なんですね。分かりまシェンね。

侍者の凌平君は三年生。
「福音て何?」「?」
「福音てね、幸福の福、福という字分かる?」「?」
「そうか、福てね、うれしい気持ちになると言う意味なんです。例えば、凌平君は他のお父さんお母さんじゃなくて、今のお父さんとお母さんで良かった、と思っているでしょう。」
「…」
「だから、お父さんとお母さんは、凌平君にとって福音なの。」
「… …」
「ときどき、難しいことを言ったり、怒ったりすることあるでしょう。でも、お父さんとお母さんがいつも一緒にいてくれるので嬉しい。でしょう!?」
「ウン」

しまいには、ほとんど説得。そんな、やりとりらしいことをやって気がついた。「福音なんて、分からなくても、どうということないんだ」と。イエスが命をかけて説いたことが分からなくてどうということはない。そこに、イエスの大きさがある。小さな子供にとって親は絶対。親の気持ちや言葉が分からなくてもどうということはない。その、存在感は理解を超えて揺るがない。

イエスの福音が、たとえ、福音らしくなくても、イエスそのものはボクにとって絶対。だから、イエスは、ボクにとって福音。危うく、福音の文言に振り回されてよけいなエネルギーを費やすところだった。で、凌平君はボクにとって福音。

それにしても、あの三人は、結局、どうなったのかナ?


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