母の愛を携えて
作成者 admin
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最終変更日時
2006年03月29日 12時45分
イザヤの預言66,10-14
エルサレムと共に喜び祝い
彼女の故に喜び踊れ、彼女を愛するすべての人よ。
彼女と共に喜び楽しめ、彼女のために喪に服していたすべての人よ。
彼女の慰めの乳房から飲んで飽き足り、豊かな乳房に養われ、喜びを得よ。
主はこう言われる。見よ、私は彼女に向けよう、平和を大河のように。
国々の栄を洪水の流れのように。
あなたたちは乳房に養われ、抱いて運ばれ、ヒザの上であやされる。
母がその子を慰めるように、わたしはあなた達を慰める。
エルサレムであなた達は慰めを受ける。
これを見て、あなた達の心は喜び楽しみ、
あなた達の骨は青草のように育つ。
主のみ手は僕たちと共にあることが、こうして示される。
聖書の中で、赤く塗られた文字や表現に出会ったら、神の愛を表していると思ったらまず間違いない。そうして、改めてこの箇所に目をやると、言葉を尽くして、神の愛を説こうとする著者の努力というか、苦労のほどがよく分かる。
もっとも、エルサレムがどんなところか今日の私たちにも疑問が残るけれども、神の都としてのエルサレムは、確かに、平和という意味を持つ。しかし、今日、エルサレムといえば、壊された神の愛の象徴と言ったほうがいいかも知れない。
いずれにしろ、私たちの問題は、「神がこんな風に私を愛してくださっている」と言うとき、イザヤのような露骨な迄に具体的に表現出来ないということではないかと思うのだが…。あんな風に表現できないとしても、せめて、自分の母親との思い出に戻ってみることは出来よう。もし一つでも母親が自分にしてくれた思い出がよみがえったらそれを仔細に眺めて見る。
奄美の冬も結構寒かった。そんな冬の昼食時間が苦痛だった。ボクの弁当箱は、綿入りの特性のハンカチでくるまれてぼってりとしてみっともなく恥ずかしかった。友達のものはスマートで、大人っぽく、ボクのは子供っぽかった。みっともないから止めて欲しいといっても母は聞いてくれなかった。確かに、かすかに暖かさが残っていて食べ安かったのだが…。
くどくて、子供の自分にはうるさくて、煩わしいとしか思えなかった。子供がなんと思うが翻すことのなかった一途さ。愚かなまでの母の愛だったと気づくまでの時間の長さよ。
神は、まさにそんな母親のようだとイザヤは言う。そう言われて、自分の現実を仔細に眺めてみると…。去る二月、「志布志に赴任」と突然言われ、思わず、「エー志布志!」と叫んだものだ。縁もゆかりもない志布志なんかに何でワシが!あのへんぴなところに何でワシが!すでに、別の赴任地への内示を受けていたのでそれなりの心づもりをし、それなりの夢を描いていたのに突然の番狂わせに焦ったのだ。
不思議なもので、腹が決まったら決まったで、次々と明るい材料が見えてきた。そして、沸々とファイトがわいてきた。で、今の結論は、「なんていいところに送られたんだろう」なのだ。かなり身勝手なもんだとは思うが…。
こうなると、神がこんなにも自分を愛してくださっているということを、イザヤのように言葉を尽くして述べ立てる必要すら感じないのだ。アレは、あくまで、神の愛が信じられなくて信仰が空回りしている人のためだと、つい、おごりたくもなる。
乱暴な言い方をすれば、母を良しとし、今を良しとすることなしに、神の愛は分からない。
何も持たずに行けというイエスの派遣を受ける弟子達の挨拶が「平和」だったとは!今を良しとする心穏やかな自分なくして、どうして平和の挨拶が出来よう。この平和こそ、母の愛、神の愛に養われた平和でなくて何であろう。それなしには、むさぼりのオオカミの歯牙から逃れることは出来ない。