熱心党信者マルタ
作成者 admin
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最終変更日時
2006年03月29日 12時45分
ルカによる福音10.38-42
イエスはある村にお入りになった。
すると、マルタという女が、イエスを家に迎え入れた。彼女にはマリアという姉妹がいた。
マリアは主の足下に座って、その話しに聞き入っていた。
マルタは、いろいろのもてなしのためせわしく立ち働いていたが
側に近寄って言った。
「主よ、私の姉妹は、私だけにもてなしをさせていますが、
何ともお思いになりませんか。
手伝ってくれるようにおっしゃて下さい。」
主はお答えになった。
「マルタ、マルタ、あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。
しかし必要なことはただ一つだけである。
マリアはよい方を選んだ。それを取り上げてはならない。」
もてなしと言えば、アブラハムのもてなしは尋常ではない。創世記18,1-10参照。
砂漠の民の相互扶助の精神だとしても何でそこまでするのかと思う。
マルタのもてなしについての詳細は分からないが
アブラハムの手際の良さに比べると雲泥の差。
家長と村の貧しい娘との違いと言えばそれまでだが…。
アブラハムのお客は見ず知らずの人でマルタのお客は友人
という違いもあるのだが…。
それでも、アブラハムはスマートでマルタはダサイ。
アブラハムには高級レストランのシェフの風格すらある。
料理の質もさることながら
お客に好感を与える洗練された身のこなし。
そんなアブラハムに来客の一人が思わず約束したのは
「来年…妻サラに男の子が生まれる」
90歳のサラが仰天したことは言うまでもない。
一方、開放的で奔放なマルタは
気の毒にも、何の報いもないどころか、受けたのはイエスのおしかり。
小言には小言で。
そうなのだ。
マルタがスマートでないのはもてなしの質の問題だったのだ。
イエスに小言を言わなければ良かった。
小言は、非難となり、きつい要求となるものだ。
マルタのダサイ点の二つ目は状況判断の無さ。
イエスの雰囲気を見ながら頃合いを見て
そっと席を立つとかの奥ゆかしい心配りが無かった。
突然飛躍するが、この話しは
見境無く動き回る働き者、やり手のマルタが行き詰まった話し。
更に飛躍すると
マルタは熱心党信者のカガミ。
もっとも
マルタにアブラハムのスマートさが加われば
最強の熱心党になれたと思うのだが…。
(sinkowahodohodoni)