信仰によって…
作成者 admin
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最終変更日時
2006年03月29日 14時06分
ヘブライ人への手紙11,1-2:8-12
信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確信することです。
昔の人たちは、この信仰の故に、神に認められました。
信仰によって
アブラハムは、自分が財産として受け継ぐことになる土地に出て行くように召し出されると
行き先も知らずに出発したのです。
信仰によって
アブラハムは他国に宿るようにして約束の地に住み
同じ約束されたものを共に受け継ぐ者であるイサク、ヤコブと一緒に幕屋に住みました。
アブラハムは
神が設計者である堅固な土台を持つ都を待望していたからです。
信仰によって
不妊の女サラ自身も
年齢が盛りを過ぎていたのに子をもうける力を得ました。
約束なさった方は真実な方であると信じていたからです。
それで、死んだも同様の一人の人から
空の星のように、また海辺の数え切れない砂のように
多くの子孫が生まれたのです。
この聖書はいわゆるお説教集。ここは正にそんな感じがする。
これでもか、これでもかと説得したい気持ちがありあり。
しかし、創世記のあの壮大なドラマを
「信仰によって」というキーワードで
簡潔にまとめ上げていて興味深い。
①行き先も知らずに出発した
②約束の地で幕屋に住んだ
③盛りを過ぎても生めると信じた
それは
④約束した方は真実(堅固な土台)だと信じたから。
こうした態度が興味深い。
で、一つ一つを巡って回想の旅をしてみると…
行き先も知らずに…と言うと気ままな旅
気ままな旅というと寅さんを連想してしまう。
人生を気ままに生きる。
普通の人には出来ることではないだろうが
「出来たらどんなにいいか」との憧れはあるに違いない。
寅さんはそれをやっているから人気がある?
神から貰った自分の土地でまるでよそ者のような生活をしたアブラハム。
宝くじに当たってもこれまでと変わらない生活をする人のようだ。
しかし
突然の病に、入院生活を余儀なくされる人もいる。
安住の我が家から病院という仮の住まいに。
盛りを過ぎても生めると信じて、実際に出産した人がいた。
他人の卵子を貰い受けてでも子供を産みたいと心底願った六十歳の主婦。
で、
④神が私の人生の設計者で真実なお方であるとの信仰があれば
①もう少し肩の力を抜いて生きていけるのではないか。
②どんな窮地に陥っても絶望することはない。人生至る所青山あり。
③望みを叶えるためには手段を選ばない
科学マインド一辺倒の強固手段に訴えることもないのではないか。
ヘブライ書著者の説教が二千年の時空を越えて聞こえてきたのだが…