気力喪失が問題
作成者 admin
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最終変更日時
2006年03月29日 14時08分
ヘブライ人への手紙12,1-4
皆さん、私たちは、このようにおびただしい証人の群れに囲まれている以上、
すべての重荷やからみつく罪をかなぐり捨てて、
自分に定められている競争を忍耐強く走り抜こうではありませんか。
信仰の創始者また完成者であるイエスを見つめながら。
このイエスは、御自身の前にある喜びを捨て、
恥をもいとわないで十字架の死を堪え忍び、
神の玉座の右にお座りになったのです。
あなたがたが、気力を失い疲れ果ててしまわないように、
ご自分に対する罪人達のこのような反抗を忍耐された方のことをよく考えなさい。
あなたがたは、罪と戦って血を流すまで抵抗したことがありません。
先ずは、イエスの福音から。
「私が平和をもたらすために来たと思うのか、。そうではない。むしろ分裂だ。」
(ルカ12,51)
言葉を返すようだが、イエスが来たから分裂が始まったのではない。
分裂はすでにあった。人のいるところ分裂は付き物。
私たちの周りにも大小様々な分裂がある。
世の中の「純粋な分裂」は力や知恵で決着が付く。
しかし、信仰の名の下に繰り広げられる分裂は始末が悪い。
しばしばイエスの名を借りた「偽の分裂」。
世界中に、そして私の中に蔓延している。
何となく下心がありそうな。
何となく腹立ち紛れのような。
何となく取って付けたような。
何となく改心させたいような。
結局は自分が正しいと言いたいような。
結局悪いのは第三者のような。
結局は世間体を気にしているような。
などなど
思わず身構えたくなるような警戒心。
要するにただの気むずかしい説教おじさんに苦笑いするしかない。
何にも生み出さない偽りの分裂。
見破られても懲りずに同じことが繰り返される現実。
そんな現実に嫌気が差し、気力をそがれてしまう。
そして、人畜無害の信仰の世界に遊びたくもなる。
そういうことのないように
「ご自分に対する罪人たちのこのような反抗を忍耐された方のことをよく考えなさい」
とヘブライ書の著者は警告していると思うのだが…。
つらいチャレンジ。