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奴隷制度を越えて

作成者 admin最終変更日時 2006年03月29日 14時11分

今週の聖書

使徒パウロのフィレモンへの手紙9-10,12,15-17

愛する者よ、
年老いて、今はまた、キリスト・イエスの囚人となっている、このパウロは、
監禁中にもうけた私の子オネシモのことで頼みがあるのです。

私の心であるオネシモをあなたのもとに送り返します。

今週のポイント恐らく彼がしばらくあなたの元から引き離されていたのは、
あなたが彼をいつまでも自分のもとに置くためであったかも知れません。
その場合、もはや奴隷としてではなく、奴隷以上の者、
つまり愛する兄弟としてです。
オネシモは特に私にとってそうですが、あなたにとってはなおさらのこと、
一人の人間としても、主を信じる者としても、愛する兄弟であるはずです。
だから、
私を仲間と見なしてくれるのでしたら、
オネシモを私と思って迎え入れてください。

一体、このオネシモという人物に何が起こったというのか。
主人フィレモンの元から逃亡でもしたのだろうか。
それとも
主人フィレモンの命令で、不自由をかこっているであろう獄中の師パウロの
身の回りの世話をするために派遣されたのだろうか。

どんな事情にあったかは知らないが、
主と出会ったオネシモを元の主人の元に返すことにした
パウロの真意を探るのはかなり興奮に値する。

フィレモンを説得するくだりは感動的ですらある。

しばらくの別離は今後共に生きるために必要だった。
奴隷と主人という関係ではなく
「愛する兄弟として」の新しい生活が始まる。
売り買いの対象からかけがえのない兄弟としての関係に入る。
オネシモにとってはもちろん、フィレモンにとっても
かつてないチャレンジ。

戸惑うフィレモンの顔を思い浮かべながらパウロの説得が続く。
一人の人間としても、
主を信じる者としても
愛する兄弟ではないか!
迎え入れて欲しい!

必死に説得に当たるパウロの真意は何か?
もしそれが出来ないなら、
あなたは私の仲間ではない。
主を信じる者でもないことを知って欲しい。

パウロが突きつける踏み絵。

登場人物がいつの間にか入れ替わり
グサリグサリとパウロの厳しい問いかけが胸を突く。
信者となり
司祭となり
修道者となっているにも関わらず
未だに越えられないハードルの数々。
意見の対立はいいとしても
心情的に波長の合わないと感じる人
出来れば関わりたくない人
愛してます!愛してます!
でも今は出来ない!今は出来ない!
そんな叫びを上げながら
パウロの踏み絵を回避している自分に赤面しながら
筆を折る。
フィレモンとオネシモに会いたくなった。 


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