アメリカにもの申す
作成者 admin
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最終変更日時
2006年03月29日 14時18分
使徒パウロのテモテへの手紙(1テモテ2,1-8)
愛するものよ、まず第一に勧めます。
願いと祈りと感謝とをすべての人々のために捧げなさい。
王たちやすべての高官のためにも捧げなさい。
私たちが常に信心と品位を保ち、平穏で落ち着いた生活を送るためです。
これは私たちの救い主である神のみ前に良いことであり、
喜ばれることです。
神は、
すべての人々が救われて真理を知るようになることを望んでおられます。
神は唯一であり、
神と人との間の仲介者も人であるキリスト・イエスただお一人なのです。
この方はすべての人の購いとして御自身を捧げられました。
これは定められた時になされた証です。
私はその証のために宣教者また使徒として、
すなわち異邦人に信仰と真理を説く教師として任命されたのです。
私は真理を語っており、偽りは言っていません。
だから
私が望むのは、男は怒らず争わず、
清い手を上げてどこででも祈ることです。
もちろん、大統領に届くとは思わないが、「目を覚ませ!」
と叫びたい。
大聖堂での祈りの後でも「強いアメリカ」を声高に強調する。
一体何を祈ったというのか。
もっとも、政治家は宗教家ではない。きれい事ばかりを唱えるわけにもいくまい。
それにしてもだ、
真珠湾以来の一大事かも知れないが、
ベトナムでの失敗は蘇らなかったのだろうか。
未だに奇形児が生まれたりするという枯れ葉剤使用の結末が
ベトナムの人々にどんな一大事をもたらしたかは考えようとしない。
第一この世から争いやテロを根絶できると思うごう慢さが許せない。
そんな「王や高官たちのために」祈れ。
未曾有の大惨事に巻き込まれたとしても
アメリカが世界一の強さを誇る大国であるなら
「男は怒らず争わず」に沈着冷静。
人々の動揺を沈め、復興を最優先し、希望の回復に粉骨砕身。
「清い手を上げてどこででも祈り」
こうして騒ぎ立つ臣民に深い知恵の言葉を語る。
やがて誰もが冷静さを取り戻し…
大国らしい「品位を保ち」、
米国のみならず世界中の人々のために
武力によらない本物の「平穏で落ち着いた生活」を
確立しようとすることこそ大国の姿にふさわしい。
言い出したら聞かないわがままなガキ大将にこびるかのような
日本の「王と高官たち」にも失望。
巨人ゴリアテに挑んだダビデのように(サムエル記上17章)
平和憲法を盾に、
誇りを持って「仲介者」として大国に挑むだけの気概がないなら
彼らの政治生命は終わりにしなければならない。