心の目が開かなければ…
作成者 admin
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最終変更日時
2006年03月29日 14時20分
ルカによる福音16.19-31
(略)金持ちは言った。
「父よ、では、お願いです。私の父親の家に、ラザロを遣わしてください。
私には兄弟が五人います。
あの者達まで、こんな苦しい場所に来ることのないように、
良く言い聞かせてください。」
しかし、アブラハムは言った。
「おまえの兄弟たちにはモーセと預言者がいる。
彼らに耳を傾ける通い。」
金持ちは言った。
「いいえ、父、アブラハムよ、もし死んだ者の中から
誰かが兄弟の所に行ってやれば悔い改めるでしょう。」
アブラハムは言った。
「もし、モーセと預言者に耳を傾けないのなら
たとえ死者の中から生き返る者があっても
その言うことを聞き入れはしないだろう。」
日々おごり暮らした金持ちは死んで黄泉(よみ)へ、
その門前で物乞いしていたラザロは天国へ。
というハナシが(略)の部分。
このハナシは金持ちと貧者の話とすると
この不況下にあえぐ、司祭は別だが、人々にしてみれば、
現実味にかけるのではないか。
たとえ不況と無縁だとしても
毎日ラザロのような人々に出会うわけではない。
もっとも路上生活者はいるけれども…。
そんな思いで読むとこれは全く違うハナシになる。
「直美ちゃんの目はいくつありますか?」
「ふたつ」
「じゃ、耳は?」
「ふたつ」
「ところが、違うんです。三つなんです。
では、三つ目はどこにあると思いますか。」
直美ちゃんは目を丸くし、中学生も首をひっている。
自分の目を差しながら聞いた。「イチ、ニイ…サン…は?」
すると、侍者のジョナサンが自分のおデコを指さした。
「三つ目小僧」を連想したに違いない。
「そこにあるのはお化け。ここ、心にあります!
心の目、心の耳。」
「心の耳がふさがっていると、お父さんやお母さんの言うことを
素直に聞くことは出来ません。
心の目が閉じているとお父さんやお母さんの本当の気持ち
悲しんでいる友達の気持ちを見ることは出来ないのです。
だから、
今日の金持ちの話は、ラザロの願いを聞く耳を持たなかった金持ち、
惨めなラザロの気持ちを見ることの出来なかった金持ちのハナシなのです。」
「アメリカは、戦争だ!と叫んで拳を振り上げたが、
だんだん、簡単でないことが分かってきたようです。
世界中から戦争反対の声が挙がったりしたので、少し困り始めているのです。
でも、それは、心の耳と心の目が
少しづつ開き始めたと言うことかも知れないので、
引き続きお祈りしないといけません。」