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聖書に勝るものがある

作成者 admin最終変更日時 2006年03月29日 14時25分

今週の聖書

使徒パウロのテモテへの手紙(2テモテ3.14-4.2)

愛する者よ、
あなたは自分が学んで確信したことから離れてはなりません。
あなたはそれを誰から学んだか知っており、
また、自分が幼い頃から聖書に親しんできたことをも知っているからです。
この書物は、キリスト・イエスへの信仰を通して
救いに導く知恵をあなたに与えることが出来ます。
聖書はすべて神の霊の導きのもとに書かれ、
人を教え、戒め、誤りを正し、義に導く訓練をする上に有益です。
こうして神に仕える人は、どのような良い業を行うことが出来るように、
十分に整えられるからです。
神のみ前で、そして、生きている者と死んだ者を裁くために来られる
キリスト・イエスのみ前で
その出現とそのみ国とを思いつつ厳かに命じます。
み言葉を述べ伝えなさい。
折りが良くても悪くても励みなさい。
とがめ、戒め、励ましなさい。
忍耐強く十分に教えるのです。

今週のポイントパキスタンで学ぶタリバン(神学生)たちはコーランしか学ばないという。
朝から晩までコーラン漬け。
コーランを大切にするとはそういうことかも知れない。
コーランに勝るモノがあってはならないからだ。
しかし、何故か、挙げ句の果てが、テロリスト。
言葉が過ぎたかも知れない。

そのコーランの本来の教えを知らないが、殺人が正当化されるどころか、
聖化されうるものでもあるらしい。
十字軍とジハード(聖戦)。
考えてみるとカトリックも同じことをしてきたことに気づく。

どっちにしろ、原理主義過激派にとって
コーランや聖書に勝る者がいて、勝るモノがある。
権力者。そして神の意志という作られた大義名分と憎悪。
かつて、パレスチナの人々は、十字軍即無差別殺りくに怯えたという。

パウロはキリスト教の未来に同様の不安を予見したわけではない。
むしろ、指導者テモテの弱気が聖書に勝ることのないようしった激励しているのだ。
聖書を知り尽くしたわけではないが、だから、分からないことも沢山あるが、
それでも、聖書の正当性と価値を認める。それだけではない。
多くの慰めと励まし。そしてひらめき。
み言葉に「十分に整えられ」神の言葉が生きて働く実感も数知れず。

にもかかわらず、
自分の中に、聖書に勝る者、モノが厳然としてある。
人を威圧するほどの権力はないとしても、
弱気はもちろん、頑固さ、好き嫌い、思いこみ、怠慢などなど。
人によって多種多様。
パウロが畏れたのはこの手のレベルのモノではなかったのか。
これが手強いことは誰もが認めるところだ。
聖書、神の言葉が足蹴にされている現実。

よい折を見て学ぶ程度では克服できない現実を認めながらも、
そして、「折りが良くても悪くても励みなさい」
と畳みかけるパウロの薦めに奮(ふる)い立ちはしても、
なかなかその気になれない自分は、

戦争反対などと偉そうなことを言っているが、
つまるところ、
原理主義過激派と根は変わらないことに気づいて、
あ~ぁ!


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