エリコの奇跡
作成者 admin
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最終変更日時
2006年03月29日 14時28分
ルカによる福音19,1-10
イエスはエリコに入り、町を通っておられた。 そこにザアカイという人がいた。この人は、徴税人の頭で、金持ちであった。
イエスがどんな人か見ようとしたが、背が低かったので群衆に遮られて見ることが出来なかった。
それで、イエスを見るために、走って先回りし、イチジク桑の木に登った。そこを通り過ぎようとしておられたからである。
イエスはその場所に来ると上を見上げて言われた。
「ザアカイ、急いで下りてきなさい。今日は是非あなたの家に泊まりたい。」
ザアカイは急いで下りてきて、喜んでイエスを迎えた。
これを見た人たちは皆つぶやいた。「あの人は、罪深い男の所に行って宿をとった。」
しかし、ザアカイは立ち上がって主に言った。「主よ、私は財産の半分を貧しい人々に施します。
誰かから何かだまし取っていたら、それを四倍にして返します。」
イエスは言われた。
「今日、救いがこの家を訪れた。この人もアブラハムの子なのだから。
人の子は失われたものを探して救うために来たのだ。」
神学生にはそれぞれ「指導司祭」というのがつく。四年間は教会法の先生だった。
大変几帳面な人で、部屋はきちんと片づき、テーブルの鉛筆は長いものから順に整列していた。
で、いつも「指導」を受けていて疲れた。
五年目の秋、指導司祭を変えてもらった。今度は、聖書学の先生だった。
部屋は乱雑で、テーブルの上には分厚い本が無秩序に置かれていた。おまけにたばこ臭かった。
初回の面接での開口一番が、「たばこは如何ですか?」で面食らった。
「指導」はなく、僕の話をうなずきながら一時間も聞いてくれた。
廊下に出た時、思わず、「バンザーイ!」と叫んだ。
「聞いて貰った」という手応えと同時に、「認めてもらった!」という実感に歓喜した。
「財産の半分を貧しい人々に施します!」
すっくと立ち上がり、まるで宣言するかのように言ったザアカイ。
初めての、しかも珍客をもてなしたザアカイは嬉しくなり、少し饒舌になった。
問わず語りに、人生の悲哀を、なによりも、村人からうとまれ、
仲間とも認めてもらえず、「罪深い男」を生き続けなければならない辛さを吐露した。
かといって、家族のために、今更この仕事を離れることもできない。また、その勇気もない。
「しかしボクはくじけない。いつか彼らを見返してやるのだ」ということを忘れなかった。
イエスは大きくうなずきながら黙って聴いた。一言の「指導」もなく。
イエスの真摯な眼差しに励まされるかのように、ザアカイの話しは止むことなく続いた。
ふと気がつくと窓の外は朝。物好きな村人達の夜討ち朝駆け。ザワザワヒソヒソ。
そんな村人達に気がついたザアカイは、いつもと違う自分に驚いた。
「いつか見返してやる」という敵愾心(てきがいしん)が消え、
穏やかで満たされた平和というか、村人への優しさがそれに取って代わっていたのだ。
彼らが自分のことを何と呼ぼうと彼らはもはや敵ではない。
共に生きていく同胞なんだ。
ザアカイは、自分がどう生きていけばいいかがはっきり見えたのだ。
小金を貯めて力を付けることではないこと。
共存共栄こそ、実は、自分が一番望んでいたこと。
片意地はらずに、人としての哀しみを共有し、分かち合って生きること。
人としての本来の心というか、本当の力を取り戻したザアカイ。
愛という力の回復。ザアカイの奇跡。
イエスが、感動した面もちで、厳かに言った。
「今日、救いがこの家を訪れた。」
「指導」の「力」を信じ続ける限り人は人を救えない!
そうだ、
ブッシュよ、そろそろ戦を止めて、ラディンの話をじっくり聴いたらどうだ。
エリコで起こった奇跡を知ってるくせに!
あ、「指導」してしまった。