不平の考察?
使徒ヤコブの手紙5.7-10
2001.12.14記
兄弟達、主が来られる時まで忍耐しなさい。
農夫は、秋の雨と春の雨が降るまで忍耐しながら
大地の尊い実りを待つのです。
あなた方も忍耐しなさい。心を堅く保ちなさい。
主が来られる時が迫っているからです。
兄弟達、裁きを受けないようにするためには、
互いに不平を言わぬことです。
裁く方が戸口に立っておられます。
兄弟達、主の名によって語った預言者達を、
辛抱と忍耐の模範としなさい。
「不平を言わぬことです」とのヤコブのすすめを聞いて
すぐに思い出されたのはIさんのこと。
彼は、決して怒らない人だと、奥さんは言う。
確かに穏やかで、彼が話し出すと「そうか」と納得してしまう。
人を安心させる人格の持ち主と言えるかも知れない。
そんな彼の顔が浮かんだのは、
不平を言うこともないのかな、とフト思ったからだ。
実は、この、穏やか、納得、安心が揺るがされると
不安になり、不安が不満に変わり、不平になる。そして、人にボヤク。
そんな感じがするのだが…。
なるほど、不平は読んで字の通り、平らでない(不)。
心が平らでない。
話しを単純にするために、あなたが信者だとしよう。
不平のもとは、いろいろあると思うが、
たとえば、認めてくれない、話を聞いてもらえない、気が合わないなどなど。
そうした不満足な状況をひっくるめて受け取るだけの力が湧かないのは、
つまり、そんな、思うに任せない状況に心は平らかさを失い、
つまり穏やかでなくなり、納得できないと騒ぎ立て、人を責め、
人の安心までも奪ってしまい、
そして、周りをも自分の不平に巻き込み、
お互いに慰め合うことで、ケンカ別れにもならず、
「不平別れ」という空しい結果に終わることが多いのは、
不平のもとが、神にあることに気づかないからなのだ。
人のせいにし、人に不平をこぼせば単なるグチ。気休めでしかないが、
神に不平を述べるなら、立派な「嘆きの祈り」となる。
グチは気晴らしで、ストレス解消。その人生を選ぶのも自由。
しかし、もう一つの人生があることに気がついたなら、
あなたも、「大地の尊い実り」を手に出来る。
ヤコブはそう言いたい。