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Merry Christmas!にもかかわらず

作成者 admin最終変更日時 2006年03月29日 14時40分

今週の聖書

ルカによる福音2.6-14

2001.12.20記

…彼らがベツレヘムにいる内に、マリアは月が満ちて、
初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。
宿屋には、彼らの泊まる場所がなかったからである。
その地方で羊飼い達が野宿をしながら、夜通し羊の群の晩をしていた。
すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、
彼らは非常に恐れた。天使は言った。
「恐れるな。私は民全体に与えられる大きな喜びを告げる。
今日、ダビデの町で、あなた方のために救い主がお生まれになった。
この方こそメシアである。あなた方は、布にくるまって
飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。
これがあなた方へのしるしである。」
すると、突然、この天使に天の大群が加わり、神を賛美して言った。
「いと高きところには栄光、神にあれ、
知には平和、御心に適う人にあれ。」

今週のポイント志布志教会が担当する地域は、二郡にまたがり9町に及ぶ。
そのうちの一町は、鹿児島に行く時に必ず通る県道63号線沿い。
巡回教会もなく、その地域に信者は皆無。
しかも、純農村で夜は明かりが消え暗い。
それで、「せめてクリスマスには明かりを…」とみんなで話し合った
かどうかは知らないが、
村の端から端まで、クリスマスのイルミネーションが美しい。

クリスマスは美しく飾る時。
あわただしい年末を控えたくつろぎのひと時。
そんなクリスマスのイギを教会当局は手放しでは喜べない?

しかし、クリスマスは
神が神である「にもかかわらず」身をヤツして家畜小屋を
誕生の場とされたわけだから、「何でも有り」でいいとは思うが…。
そうなのだ。実は、クリスマスのキーワードは、
このにもかかわらずなのだ。

Merry Christmas! だけでは手放しで喜べない理由がそこにある。
清潔な家畜小屋があったとしても、所詮それは動物の家。
ボクには同居に耐えない。
また、しばしば、貧しさは惨めと同意語。
また、しばしば、貧困は不幸の同意語。
また、しばしば、貧すれば鈍する、が現実になる。
つまり、イエスの誕生、最初のクリスマスは、
「まるで、動物のような」状況下で祝われたのだった!

この貧しさ、惨めさの神秘を黙々と祝い続けるのが信者。
…にもかかわらず、言い訳しない貧しさ。
…にもかかわらず、ひがまない貧しさ。
…にもかかわらず、誇らない貧しさ。
…にもかかわらず、違いを認める貧しさ。
…にもかかわらず、相手を褒める貧しさ。
…にもかかわらず、人の話を聞ける貧しさ。
…にもかかわらず、人と共感できる貧しさ。などなど。

ある友人はカトリック信者であるにもかかわらず、数珠を買った。
仏教徒の葬式の時に手にするために。

唯一の神を信じているにも関わらず唯一を口にしないところに平和が生まれ、
唯一を強調するところに戦が耐えない。
クリスマス、それは信者の信仰の質が問われる時。
さて…。


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