洗者ヨハネを見捨てたイエスの謎
マタイによる福音4,12-17
イエスは、ヨハネが捕らえられたと聞き、ガリラヤに退かれた。
そして、ナザレを離れ、ゼブルンとナフタリの地方にある湖畔の町
カファルナウムに来て住まわれた。
それは、預言者イザヤを通して言われていたことが実現するためであった。
「ゼブルンの地とナフタリの地、
海沿いの道、ヨルダン川の彼方の地、異邦人のガリラヤ、
暗闇に住む民は大きなひかりを見、
死の陰の地に住むものに光が差し込んだ。」
その時から、イエスは、「悔い改めよ天の国は近づいた」
と言ってのべ伝え始められた。
イエスは、自分に洗礼を授け、自分の先駆けとして働いたヨハネの逮捕を聞いた時
まるで逃げるように辺境の地に身を隠した。
何とか助け出そうと働いた風でもない…が、
その時をもって、イエスの気迫に満ちた活動が始まる。
「悔い改めよ。」
逮捕の知らせがまるで活動開始の合図であるかのよに。
不当な逮捕を告発するかのように。
しかし、結局ヨハネは、
気ままなヘロデ王の手にかかって結局犬死にを果たす。
それを聞いたイエスは、今度は
マタ14:8 すると、娘は母親に唆されて、「洗礼者ヨハネの首を盆に載せて、この場でください」と言った。
マタ14:9 王は心を痛めたが、誓ったことではあるし、また客の手前、それを与えるように命じ、
マタ14:10 人を遣わして、牢の中でヨハネの首をはねさせた。
マタ14:11 その首は盆に載せて運ばれ、少女に渡り、少女はそれを母親に持って行った。
マタ14:12 それから、ヨハネの弟子たちが来て、遺体を引き取って葬り、イエスのところに行って報告した。
マタ14:13 イエスはこれを聞くと、舟に乗ってそこを去り、ひとり人里離れた所に退かれた。しかし、群衆はそのことを聞き、方々の町から歩いて後を追った。
今度こそ身を隠したイエスは何をしたのか。
イザ53:7 苦役を課せられて、かがみ込み 彼は口を開かなかった。 屠り場に引かれる小羊のように 毛を切る者の前に物を言わない羊のように 彼は口を開かなかった。
今時の言い方をすれば、ワシはテロの殲滅のために来たのではない。
罪人を絶滅させるのが自分の使命ではない。
そんな思いで、イザヤの言葉を何度も何度も味わっていたに違いない。
ヨハネを手にかけたヘロデ。
神の言葉を歪曲し、権力の座に安住している指導者達。
罪と欺瞞に染められた世の力。それを背負って義とすることこそ天命。
イエスの苦渋に満ちた選択。逃げたのでも、見捨てたのでもない。
ヨハネの逮捕と殺害は、傍若無人な抗しがたい世の力への敗北ではなく、
それを背負ったヨハネの勝利と言える。
闇は裁きや撲滅の対象ではなく、光によって照らされるべき救いの対象。
あなたの闇も。
イザ9:1 闇の中を歩む民は、大いなる光を見 死の陰の地に住む者の上に、光が輝いた。
謎が解けたら嬉しい。