現在の場所: ホーム Binder 日曜日のはなし 2002年 信仰は便利
ナビゲーション
最近のエントリ
ペトロパウロ休日 2014年06月29日
有難うシスターたち 2014年06月27日
大分教区司祭研修会 2014年06月26日
32年ぶり班制度 2014年06月24日
梅雨の晴れ間に 2014年06月19日
 
編集操作

信仰は便利

作成者 admin最終変更日時 2006年03月29日 15時35分

今週の聖書

ヨハネによる福音20,26-29

2002.4.6記

さて、八日の後、弟子たちはまた家の中におり、トマスも一緒にいた。
戸にはみな鍵がかけてあったのに、イエスが来て真ん中に立ち、
「あなた方に平和があるように」と言われた。
それから、トマスに言われた。
「あなたの指をここに当てて私の手を見なさい。
また、あなたの手を伸ばし、私の脇腹に入れなさい。
信じないものでなく、信じるものになりなさい。」
トマスは答えて、「私の主、私の神よ」と言った。イエスはトスに言われた。
「私を見たから信じたのか。見ないのに信じる人は幸いである。」

今週のポイント突然だが、あなたは、「信仰は便利なもんだワ」と一人
ほくそ笑んだ(品のいい表現ではないが)ことはないだろうか。
たとえば、
実は数日前。どうしても会わなければならない人に会うため
一時間半のドライブを強いられた。ドライブは好きなので時間はどうでもいいのだが、
ドライブの間中、どんな対応をしようかと重たい気分だった。
ドアのポケットには数本のロザリオがいつもあるのだが、その一本を取り出して
声を出して祈ったほど、ひょっとしたらひょっとすることになるかも知れない
というきわどい事態が待っていたのだった。
目的地についてたまたま最初に会ったのが彼女、オッと言ってしまった!、だった。
「あら、郡山神父様、この間はありがとうございました。」
思いがけないフレンドリーな対応に面食らった。
だが、彼女のそんな対応に、ドライブ中の不安や、重たい気分が一度に吹き飛んだ。
当然、会話はボクの予想に反して、スムーズかつなごやかなものに終始した。

誰でも、似たような体験があると思うが、「案ずるよりうむが易し」
と言ってしまえば、あなたはただの人。
さすがロザリオが効いたのだと思えば、単に熱心なだけ。
「見ないで信じるとはこのことか」と納得すれば、察しが早いだけのかなり怖い信者。

それだけではなく、
これから直面しなければならないこと〔まだ見ないこと〕に希望を感じ、
出来るだけ気持ちよく関われるように、あれもしよう、これはどうかと
積極的な気持ちに変わるなら、そして新たな夢を描くようになるなら
あなたは、まさに、「見ないで信じる」人を演じている。いや生きている。

「そうなのか!」と、一人納得し、一人で乾杯した。

信仰って便利なもんだねー。


Powered by Plone CMS, the Open Source Content Management System

このサイトは次の標準に準拠しています: