信仰は便利
ヨハネによる福音20,26-29
2002.4.6記
さて、八日の後、弟子たちはまた家の中におり、トマスも一緒にいた。
戸にはみな鍵がかけてあったのに、イエスが来て真ん中に立ち、
「あなた方に平和があるように」と言われた。
それから、トマスに言われた。
「あなたの指をここに当てて私の手を見なさい。
また、あなたの手を伸ばし、私の脇腹に入れなさい。
信じないものでなく、信じるものになりなさい。」
トマスは答えて、「私の主、私の神よ」と言った。イエスはトスに言われた。
「私を見たから信じたのか。見ないのに信じる人は幸いである。」
突然だが、あなたは、「信仰は便利なもんだワ」と一人
ほくそ笑んだ(品のいい表現ではないが)ことはないだろうか。
たとえば、
実は数日前。どうしても会わなければならない人に会うため
一時間半のドライブを強いられた。ドライブは好きなので時間はどうでもいいのだが、
ドライブの間中、どんな対応をしようかと重たい気分だった。
ドアのポケットには数本のロザリオがいつもあるのだが、その一本を取り出して
声を出して祈ったほど、ひょっとしたらひょっとすることになるかも知れない
というきわどい事態が待っていたのだった。
目的地についてたまたま最初に会ったのが彼女、オッと言ってしまった!、だった。
「あら、郡山神父様、この間はありがとうございました。」
思いがけないフレンドリーな対応に面食らった。
だが、彼女のそんな対応に、ドライブ中の不安や、重たい気分が一度に吹き飛んだ。
当然、会話はボクの予想に反して、スムーズかつなごやかなものに終始した。
誰でも、似たような体験があると思うが、「案ずるよりうむが易し」
と言ってしまえば、あなたはただの人。
さすがロザリオが効いたのだと思えば、単に熱心なだけ。
「見ないで信じるとはこのことか」と納得すれば、察しが早いだけのかなり怖い信者。
それだけではなく、
これから直面しなければならないこと〔まだ見ないこと〕に希望を感じ、
出来るだけ気持ちよく関われるように、あれもしよう、これはどうかと
積極的な気持ちに変わるなら、そして新たな夢を描くようになるなら
あなたは、まさに、「見ないで信じる」人を演じている。いや生きている。
「そうなのか!」と、一人納得し、一人で乾杯した。
信仰って便利なもんだねー。