みなしごにはしておかないが…
ヨハネによる福音14,16-21
2002.5.5記
私は父にお願いしよう。父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなた方と一緒にいるようにして下さる。この方は真理の霊である。世は、この霊を見ようとも知ろうともしないので、受け入れることが出来ない。しかし、あなた方はこの霊を知っている。この霊があなた方と共におり、これからもあなた方の内にいるからである。
私はあなた方をみなしごにはしておかない。あなた方のところに戻ってくる。(略)
パリ大司教区(そんな名の教区だったか定かでないが)では、
大人の洗礼が増えていて、昨年だけで百人もいた。
そんな話を聞いたのは、七、八年前のことだった。
どういう意味かというと、
フランスでは、と言っていいと思うが、幼児洗礼はもはや行われていない。
というか、そういう家族が増えているという意味だ。
大人になって、カトリックと出会うという日本の状況に近づいているとも言える。
「みなしごにはしておかない」という主のみことばが実現して、
数世代後に父の存在に気がついた。
喜ぶべきことには違いない。
しかし、「主よ、遅すぎるんじゃありませんか」という気もする。
聖書の言葉は、読む人によって響きが異なるので便利だといえば便利だ。
少なくとも、どんな局面に直面しても、失望と怒りしか湧かない時でも、
「ま、いいか」という気にさせるので、
当局側としては余計な責任感にさいなまれることもないのでいい…?。
13年忌の追悼の祈りに呼ばれた。墓前には若いカップルと子供たちが集まった。
舅が、乳飲み子を抱いた嫁さんに言った。「子供にも洗礼を…」
言い終わらない内に、嫁さんが即答した。「いいです!」
少しひるんだ舅が、めげずに言った。「早い内が…」
またしても、「いいです!」が瞬時に帰ってきた。
「可愛くない嫁だこと!」内心腹を立て、
司祭の前で、家長の権威と面目を潰された格好の舅に同情した。
聞いて二度ビックリした。
「嫁の両親は熱心な信者で、本人も信者なんですがね…。」
内心の怒りがダブルになって、嫁に声をかける気をそがれた。
それにしても、
「おじいちゃんがうるさいので洗礼を…」というできた?シンジャも
今では珍しくなったということかも知れない。
フランス並みにシンカしたと言うべきか、
はたまた、カトリックの凋落ぶりを慨嘆すべきか。
「みなしごにはしておかない、とおっしゃったじゃありませんか。」
「いや、あれは、弟子たちに言ったことで…。」
まさか、国会の証人喚問ではあるまいに、
そんな切り返しをなさるおつもりではないとは思うのだが…。
今日はこどもの日。
お父さんと「イナイ、イナイ、バー」をして遊ぶというのはどうだろう。
お父さんの方が、「バー」と先に顔を出すに決まっているのだが…。