ワラでなくて良かったね!
マタイによる福音14,22-33
2002.8.11記
イエスは弟子たちを強いて船に乗せ、向こう岸へ先に行かせ、その間に群衆を解散させられた。
(略)
夜が明ける頃、イエスは湖の上を歩いて弟子たちのところに行かれた。弟子たちは、イエスが、湖上を歩いておられるのを見て、「幽霊だ」と言っておびえ、恐怖のあまり叫び声を上げた。イエスはすぐ彼らに話しかけられた。「安心しなさい。私だ。恐れることはない。」すると、ペトロが答えた。「主よ、あなたでしたら、私に命令して、水の上を歩いてそちらに行かせてください。」イエスが、「きなさい」と言われたので、ペトロは船から下りて、水の上を歩き、イエスの方へ進んだ。しかし、強い風に気がついて怖くなり、沈みかけたので、「主よ、助けてください」と叫んだ。イエスはすぐに手を伸ばして捕まえ、「信仰の薄い者よ。なぜ疑ったのか」と言われた。(略)
今日のキーワードは、「手を伸ばして捕まえ」。
考えてみると、というよりも、思い起こしてみると、
イエスに手を引かれて一命を取り留めたことが何度あったことか数知れない。
一命を取り留めるというのは、
すんでの所で死ぬところだったという意味ではない。
「ペトロに起こったようなことが自分にも起こったと
言えそうことが沢山あるなあ…」
と思いませんか。
偏った情報に影響され、ある人を排除しようとしたり、
自分だけを主張して、聞く耳を持たなかったり、
意固地になって無理を通そうとしたり、
自分の劣等感に気づかないで強がっていたり、
人を見下したり、軽く見たり、
払うべき尊敬を欠いたり、
横柄で失礼な態度をとったり、などなど。
思い出すと苦い味がしたり、思わず赤面したくなるような
種々雑多な恥ずかしい人生が自分の歴史そのもだったことを認めざるを得ない。
しかし、そんながたがたの人生にもかかわらず、
その一つ一つが今の自分を作り上げてきたことも確か。
人を傷つけ、迷惑をかけながら成長しなければならなかった人生を
ふがいないと嘆いたりはしない。
なぜなら、今はっきり言えることがあるからだ。
あの一こま一こまで、イエスが、「身の程知らぬやつじゃ。ホラおいで」
とか何とか言いながら、
「手を伸ばして(ボクを)捕まえて」その場から引っ張り出してくれたから
大事に至らずに済んだのだ、と。つまり、
イエスのおかげで双方に、決定的ダメージを与えずに済んだ。
と思い至ったとき、感に堪えながら一人納得したものだ。
「そうか。やっぱり。あれはみんなあなただったんすか!」
「信仰薄い者よ。ワラでなくて良かったね。」
片目をつぶったイエスの顔はほほえんでいた。
今夜は、底知れぬイエスの友情にカンパイしよう。