教会は泥の中でこそ建つ!
マタイによる福音16,15-19
2002.8.24記
イエスが言われた。「それではあなた方は私を何者だというのか。シモン・ペトロが、「あなたはメシア、生ける神の子です」と答えた。するとイエスはお答えになった。「シモン・バルヨナ、あなたは幸いだ。あなたにこのことを現したのは、人間ではなく、私の天の父なのだ。私も言っておく。あなたはペトロ。私はこの岩の上に私の教会を建てる。よみの力もこれに対抗できない。私は天の国の鍵をあなたに授ける。あなたが地上でつなぐことは、天上でもつながれる。あなたが地上で解くことは、天上でも解かれる。
快活で明るく熱心な信者の奥さん。子供二人はかつての祭壇少年隊。
なぜか一人は、親が戸惑うほどに堅く心の扉を閉ざしたままの
気ままな青年に。そんな彼と久しぶりに会った。
昔と変わらないハニカミ屋の彼に親しみを覚えた。
同席の兄が沢山あるという武勇伝の一つを披露してくれた。
数日後、大阪から友人の司祭が車ごとフェリーでやってきた。
年三回の鹿児島での内観主催のため来鹿の度に立ち寄ってくれる。
「そうだ、彼にも参加を勧めよう」ということになった。
彼が去って、一時間もたたないうちに
あの青年の母親からの電話に驚いた。
用件はミサ依頼だったが、渡りに船とはこのこと。
用件を聞くのもそこそこに、まもなく始まる内観に参加を勧めた。
彼にも電話を代わり十分余りも説得に努めた。
彼は無言で聞いていたが、最後に、「両親と話して是非体験して欲しい」
と念を押すと、「ハイ」と小さく答えた。
そこへ父親が帰ってきたというので、父親とも話す事が出来た。
「えっ、彼とも話されたんですか!」と驚いた様子から
父親も手を焼いていることが伺えた。
数分後には、
「今回は都合が悪いが、十二月には出たい」という
本人の意思を確認できた旨の電話を受けた。
母親の声は弾んでいた。
そして、ちょうど一週間後の今朝。
電話の向こうから、一段と弾んだ彼女の声が響いた。
「私内観行ってきました!やはり私が先に行くべきでした!
子供が問題じゃなくて、問題はアタシでした!…」
たまたま一日内観に行く友人に誘われ、
一日が二日に、二日が三日になったのだという。
体験のすばらしさをよどみなく話す彼女と喜びを共有した。
いつもはさめた反応の旦那も今回は耳を傾けて聞いたに違いない。
私はこの岩の上に私の教会を建てる。
彼女は今断言できるはずだ。「教会は泥の中で建つ!」
目から鱗の強烈体験と共に彼女の教会建設が始まった。
これまで粗末にしてきた無数の資材を
まるで宝物でも集めるように一つ一つ丁寧に寄せ集めながら。
そして、やがて気づくに違いない。
泥が価値を持つワケに。泥のずっと下に岩盤があったことに。