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許せないつらさを分かって欲しい

作成者 admin最終変更日時 2006年03月30日 10時47分

今週の聖書

マタイによる福音18,21-35

2002.9.15分

その時、ペトロがイエスのところに来て言った。「主よ、兄弟が私に対して罪を犯したら、何回許すべきでしょうか。七回までですか。」イエスは言われた。「あなたに言っておく。七回どころか、七の七十倍までも許しなさい。そこで天の国は次のようにたとえられる。…(略)
そこで、主君はその家来を呼びつけていった。「不届きな家来だ。おまえが頼んだから借金を帳消しにしてやったのだ。私がおまえを憐れんでやったように、おまえも自分の仲間を憐れんでやるべきではなかった。」そして、主君は怒って、借金をすっかり返済するまでと、家来を牢役人に引き渡した。あなた方の一人一人が、心から兄弟を赦さないなら、私の天の父もあなたがたに同じようになさるであろう。

今週のポイント身内を拉致されたとか、むごい扱いをされた人の場合、
あなたが福音を知らない人なら大目に見るとしても、
もし、信者なら、軽々に、絶対赦さない!などと本気で思うなら
おん父からこっぴどい目に遭わされるから覚悟しなさい。
こんな脅迫に近い発言が福音とは!

イエス様は、先週もそうだったように、
まるで虫の居所でも悪かったのかと思うほどに、
ペトロの発言には過敏に反応するので戸惑ってしまう。
将来、後継者として全権を託したいと思っているだけに
つい力が入ってしまうのは分からないでもないのだが…。

個人的には、
「あの人の言うことは、いつも、どうも素直に聞けない」
「あの人が口を開くと、とにかく反論したくなる」
「あの人のやり方にはどうもついていけない」
「遠くから顔を見ただけで気づかないふりをしたい」
「あの人とは二度と関わりたくない」などなど。
といった現実の自分をモンダイにすることはある。

冒頭で書いたように、絶対赦さない!と本気で思う人がいたなら、
信者であろうとなかろうと
よれほど辛い思いをしたのだろうな、とその人に同情してしまうのだが…。
あなたはそうは思わないのですか?

ああ、またまた、まず出るのは文句ばかりだ。
とにかく、イエスの本音が知りたいだけなのだ。

本音、本音…。 本音、本音…。本音ねー。

イエス様
信者の誰かが、本気で赦さないと思ったからと言って、
罰として本気で牢に入れたりする…んじゃないでしょうね。
牢にねー。本気だよ。牢は牢でもロウ。
え?エッ?ロウ?…ですか?
苦労の労。英語では、trouble。トラブル。
はー!?
冗談は別として、赦さないぞー!との思いが深いほど
人は苦しさが増し、心の平和を失い、不自由になるだけなんだ。
ボクは、赦さないと思う人の気持ちや辛さはは分かるつもりだ。
それだけに
そんな思いから解放されたらどんなに幸せかもよく分かるのだ。
今つくづく思うのだが、ゲッセマネではホント辛かった。
天を恨み、指導者たちを恨み、自分の生涯を恨んだ。
言葉に尽くせないほど辛かった。
あなたの思いのままに…と言ったものの十字架はもっと辛かった。
何が辛かったかって、全身に走る激痛はもちろん、
裸にされ、手塩にかけて育てた弟子たちからも捨てられる辛さ、
人から、虫けらのように扱われ、存在を否定される惨めさ。
たとえようもないものだった。
でもね、
許せないヤツだと言ってボクを十字架にかけた人たちも
実は、大変なことをしてしまったと苦しんだのだ。
あの百人隊長のようにね。
ともかく、もうろうとした中で、ボクは自分が口にしたことをはっきり覚えている。
「この人たちを許してください。」
そしたら、これでいいのだ!と、心底、心が軽くなったのもね。

で、?

で,ボクが言いたいのは、
信者であろうとなかろうと、死ぬ間際ではなく
元気なうちに、今、心が軽くなる人生を何とか見いだして欲しい。
どんな目に遭おうとも、憎しみや仕返しはもちろん
天のおん父に免じて何とか許し合う人間関係を作って欲しい。

拉致問題をはじめテロで身内を亡くした人々のように
それが出来ないで苦しんでいる人のほうが多いのではないですか?

お前は、やっぱり、牢にこだわっているんだね。
ここだけの話しだが、
実は、そんな人たちの悲しみも、憎しみでさえも
とにかくあらゆるロウの中にいる人たちをみ~んなみ~んな
天のおん父が抱き取ってくれたのだよ。
それがボクの十字架の生け贄というものなんだ。
ボクの十字架に免じて御父が新しいいのちを保証された。
それが復活なんだ。
これが、おん父の救いの業のハイライトなんだ。
だから
聖書の中で怖い話しを読んでも
あんまり心配しなくてもいいの。

は~!?!?!?!?!


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