もっと多く貰えるだろう
マタイによる福音20,1-16
2002.9.20記
天の国は次のようにたとえられる。
ある家の主人が、ブドウ園で働く労働者を雇うために夜明けに出かけていった。主人は一日につき一デナリオンで労働者をブドウ園に送った。また、九時頃行ってみると、何もしないで広場に立っている人々がいたので、「あなた達もブドウ園に来なさい。ふさわしい賃金を払ってやろう」と言った。それでその人たちは出かけていった。主人は十二時頃と三時頃にまた出て行き、同じようにした。五時頃にも行ってみると…略…
夕方になって、ブドウ園の主人は監督に、「労働者たちを呼んで、最後に来た者から始めて、最初に来た者まで順に賃金を払ってやりなさい」と言った。そこで、五時頃に雇われた人たちが来て、一デナリオンずつ受け取った。最初に雇われた人たちが来て、もっと多く貰えるだろうと思っていた。しかし、彼らも一デナリオンずつであった。
…略…
「…丸一日、暑い中を辛抱して働いた私たちとこの連中とを同じ扱いするとは。」
…略…「後にいる者が先になり、先にいる者が後になる。」
拉致問題での日本の騒ぎようは一体なんだ。
あの大戦のさなか、いやそれ以前から、
ワシらがどれほどひどい仕打ちを日本から受けたことか。
目の前で、主人やせがれが連行され、行方しれずとなり
ワシらのような年寄りや女子供だけになった家族を
どこの誰が慰めたか。
次は、ウチかもしれない。そんな恐怖におびえた毎日が
生き地獄だったことを誰が知ったか。
まるで、動物を狩るかのごとき振る舞いと過酷な労働。
幼子を母親から奪い、空中に放り投げ、落ちてくる幼子を
銃剣で突き刺して殺す。
気が狂わんばかりに泣き叫ぶ母親を足蹴にした日本兵。
数え上げればきりがない。
謝れ謝れというが、日本はいつ謝ったか。
徹底調査と言うが、一体誰がワシらが受けた差別と抑圧
言葉に尽くせない人権蹂躙と屈辱。一体誰が
徹底的に調査し、事柄を白日の下にさらしたか。
日本人は、戦争は過去の悲しい出来事ぐらいにしか思っていない。
ワシらにとって戦争はまだ終わっていない。
上に書き立てた悲劇は過去のことではないのだ。
胸が張り裂けるような痛みと、憎しみが炎のように燃え上がり、
体中が震える現実のことなのだ。
北朝鮮は信用できないと言うが、
ワシらを追いつめたのは日本だったことを忘れてはいけない。
拉致、拉致と言うが、無力なワシらにほかに何が出来たというのか。
日本の報道を見ると、
まるで、日本人だけが特別の待遇を受ける価値があるかのような
印象を受けるが、ワシらも同じ価値を持つ人間なのだ。
日本人が、拉致、不審船、ミサイルにこだわり続けるなら
ワシらもカコにこだわり続けるだろう。
突然だが、
国交正常化への決断こそ両者に本当の戦争終結をもたらす
和解への道。その決断はノーベル賞に値する。
ワシらを一人の人間として対等に見てくれた始めての出来事なのだから。
ここぞとばかりに、またも外務省がやり玉に挙がった。
日本はなぜもっと大きな歴史の流れを作るような議論をしないのだろうか。
ともあれ、
「ワシが先だ、お前たちは後だ。」
「ワシこそ優遇されて当たり前。」
そんな貧しいブドウ園の労働者たちの貧しい了見がたしなめられている。
「後にいる者が先になり、先にいる者が後になる。」