で、どうされるおつもりで…?
イザヤの預言5,1-7
2002.10.4記
私は歌おう、私の愛する者のために、そのブドウ畑の愛の歌を。私の愛する者は、肥沃な丘にブドウ畑を持っていた。よく耕して石を除き、良いブドウを植えた。その真ん中に見張りの塔を建て、酒ぶねを掘り、良いブドウが実るのを待った。
しかし、実ったのは酸っぱいブドウであった。さあ、エルサレムに住む人、ユダの人よ、私と私のブドウ畑の間を裁いてみよ。私がブドウ畑のためになすことで、何かしなかったことがまだあるというのか。私は良いブドウが実るのを待ったのになぜ、酸っぱいブドウが実ったのか。
さあ、お前たちに告げよう、私がこのブドウ畑をどうするのか、囲いを取り払い、焼かれるに任せ、石垣を崩し、踏み荒らされるにまかせ、私はこれを見捨てる。枝は刈り込まれず、耕されることもなく、茨やおどろが生い茂るであろう。雨を降らせるなと私は雲に命じる。
イスラエルの家は万軍の主のブドウ畑、主が楽しんで植えられたのはユダの人々。
主は、裁きを待っておられたのに、見よ、流血。正義を待っておられたのに、見よ、叫喚。 神様、あなたの失望の深さは分かります。
あなたが選んだというあのイスラエルとパレスチナの泥沼の争い。
あなたでなくとも、世界中の人々が戸惑っています。
それにしても、あなたの失望は今に始まったのではなく、
イザヤの時代からだとしても、かれこれ二千七、八百年も
続いていることになるのですが…。
もちろんあなたは何もなさらなかったのではない。
最愛の子を送られた。でも、それも失敗でした。
いや、少なくとも、おん子は復活という勝利を博された。
その後、おん子の残された教会は、破竹の勢いで世界を席巻しました。
世界を手中に収めたかに見えました。
けれども、世界はいっこうに良くなりません。
実際の話、
アメリカは、イラクを攻撃したがっていますし、
貧しい国々では紛争が絶えません。
今、日本は拉致問題、経済破綻で揺れています。
拉致問題は、60年ほど前、日本人がもっとひどいことをしたのに
騒ぎ過ぎだと、北朝鮮の人々は言います。
その通りだと思いますが、それにしても、日本の若者たちは
ますます宗教離れを起こしています。
あなたのブドウ畑は、ごらんのような有様。
悲惨なものです。
あなたがイザヤを通して語られたとおり、
あなたご自身がほったらかしにされたのではないかと思うほどです。
この現状は、私たちの手に余るのですが、
これから先、どうなさるおつもりですか。
第二の救い主でも送る予定でもあるのですか。
そんな予定もないとすれば…。
もしかして、あなたはイスラエルにこだわっておられるのですか?
新しいイスラエルとしての教会。この信者たちに。
イスラエルの家は万軍の主のブドウ畑、
主が楽しんで植えられたのはユダの人々。
あなたが私たちを呼ばれたとき、目を細めて祝福されたお姿を
容易に思い起こすことは出来ます。
そう言えば、
教会の中には、確かに若者が元気なグループが
いくつかありますね。
身近なところでは、フォコラーレに新求道共同体など、
従来のカトリックの充ち満ちた閉塞感を打破するほどの勢いを
感じます。また、お隣の韓国やアフリカの国々の勢い。
第二の救い主となるに違いない多くの新しいイスラエル。
悔しい感じもしますが、何か見えてきます。
それは、教会のグローバル化です。
グローバリゼーションが貧しい国には困窮をもたらすと
いうことになっていますが、流れは止まりません。
それに引き替え、教会はどうかといえば、相変わらずの
小王国分立時代を引きずっています。
カトリック、普遍的と豪語している割にはチマチマと
相変わらず会議ばかりが多くて実をあげることが出来ないでいます。
あ、またボヤキです。お許し下さい。
正直言って、ボクは今の自分と自分が置かれた環境を
これまでで一番エンジョイしています。
このまま時間が止まってもいいとさえ思っています。
けれども、ですね、
今の世の中の余りにも混迷した姿を見るにつけ
あなたの本音を直に聞きたいとマジで思うことがあるものですから…。
それでもあなたが目を細めて祝福してくださることを信じつつ愛を込めて。